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上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】 平成30年4月26日(木)〜5月22日(火)  

 

 上杉景勝、兼続の主従は米沢城下の建設を進めるなか、慶長17年(1612)、米沢城本丸の東南隅に謙信の遺骸を祀る「御堂」を完成させました。また、御堂に勤仕する寺院が堀を隔てた二の丸に建てられました。それらはすべて真言宗の寺院で、江戸中期には二一ヵ寺を数えました。上杉家の菩提寺である法音寺・大乗寺の能化衆と呼ばれる11ヵ寺、御堂衆9ヵ寺、御堂を管轄する霊仙寺(本丸内、自性院→吉祥院→霊仙寺と改称)からなっていました。これらの寺院の多くは越後から移ってきたもので、米沢城は本丸内に墓所、二の丸に寺院という全国に稀なる城郭だったのです。関ケ原の戦いに敗れた景勝にとって、家臣団再生の精神的な支柱が上杉謙信であったと考えられます。

 御堂は米沢藩・上杉家にとって最も神聖な場所として特別に扱われたことを、多くの古文書が伝えています。護摩を焚く御堂では、火災が何より心配されました。2代藩主上杉定勝が法音寺や吉祥院に宛てて、火の用心や供物について記した書状も複数確認されています。火災の際のマニュアルも整っており、御堂を火災から守るため万全を期したのです。歴代藩主は参勤交代で江戸に出発する際、また帰館(城)した時もまずは御堂の謙信に報告するのです。九代藩主上杉鷹山も干ばつや長雨の際、御堂に籠り祈祷や断食祈願を行っています。

 それでも火災は免れず、今回展示する御堂関連の史料群は、嘉永2年(1849)12月20日に焼失した御堂とその再建に関わるものです。

 明治4年(1871)、御堂を改め上杉謙信と鷹山を祭神とする上杉神社が創建されました(後に鷹山は松岬神社に分祀)。そして明治9年(1876)、謙信の遺骸は御廟所に移されました。

 

また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の「上杉本洛中洛外図屏風」は、4月26日(木)〜5月20日(日)原本、5月21日(月)、22日(火)(2作目=複製B)の展示となります。

 

 

▼ コレクショントーク

  平成30年4月28日(土)

  14:00〜

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238−26−8001

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