能楽:注釈

能楽:注釈



※1大和四座
「結崎(ゆうざき)座」
観世流能の元祖的な流派。観世流の始祖は観阿弥。観阿弥の時代に観世座として流派の名が確立された。京都の談山神社に猿楽を奉納するための組織だった。初代の座長は不明だが、観阿弥も座長のひとり。

「円満井(えんまい)座」金春流
古代の人気芸能一座その信憑性は別して始祖は泰皮勝(はたかわかつ)とされている。
「金春」という姓を使い出した人物は皮勝から何と53代目の金春権守。

「坂戸(さかと)座」金剛流
法隆寺に奉納することを目的とした。初代は坂戸孫太郎氏勝。七代目、兵衛尉氏正な
どの名人を輩出したものの、昭和に入って二十三代目の金剛右京氏慧の死で、室町時代から続いた金剛座の血脈は途絶える。しかし、江戸時代に興った野村信吉を始祖とする野村金剛家の厳(いわお)が金剛を名乗り宗家となる。現在の宗家は金剛永謹(こんごうひさのり)。

「外山(とび)座」宝生流
宗家は東京在住の宝生英照。初代は観阿弥の兄(長男)、宝生大夫。外山座は観世流の前身である結崎座とともに京都の談山神社に猿楽を奉納することを目的としていた。江戸時代に入ると能に没頭した五代将軍綱吉が宝生流を推奨する。


※2観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)父子
結崎座の座長であった観阿弥と、その子、世阿弥は京都にある今熊野神社で、同時の鎌倉幕府の三代将軍、足利義満のために猿楽を舞う。その後、義満は親子の猿楽を養護するようになる。このときから、結崎座は猿楽業界トップの座へと登りつめ、観阿弥親子は能楽史上の不世出のスーパースターとなる。観阿弥は、滑稽さが売りだった「猿楽能」を完成させ、世阿弥は猿楽能を芸術の域にまでを高め、夢幻、幽玄という現代能に通じる独特の世界観を創り上げる。


※3幽玄(ゆうげん)
奥深くて計り知れないこと。趣が深く、味わいが尽きないこと。能楽や中世歌論では、やさしい趣を含めて言う。(岩波国語辞典より)


※4夢幻能(むげんのう)
能の作品は大きく夢幻能(むげんのう)と現在能に二分できるが、夢幻能はだいたい次のような構造を持つ。まず、シテ[主人公]は美しい女性や老人などの姿になって、ワキ[シテの相手役]の旅僧や勅使(ちょくし)などの前に現れ、その場所にまつわる物語を他人事のように語った後、実は今の物語の主人公は自分なのだと明かして姿を消す。そして後半では、本来の姿で再び登場し、昔の場面を再現したり舞を舞う。現在能の場合は夢幻能のような定型はなく、一般の演劇と同じように様々な事件が描かれる。それでも、別れた親子や夫婦の再会の物語である物狂能(ものぐるいのう)などには、多くの曲に通ずる筋書きのパターンが見られる。


※5扶持米(ふちまい)
武士に米で与えた給与(岩波国語辞典より)


※6喜多流
現在の宗家は東京都在住の喜多六平太。シテ方の流派では、唯一江戸時代に入ってから発生した流派。初代は金剛流の北七太夫長能。この北家は戦乱の時代に秀吉側についたため、徳川の時代に入ってからは低迷。しかし、七太夫の天才的な才能のために徳川二代将軍秀忠に養護されるようになり、他の座とは独立した存在として活躍する。


※7序破急の考え方
能の構成・演出の根本理念。雅楽から取り入れられた概念。
【序】ゆったりとした導入
【破】中心となる主要な展開
【急】短く躍動的な終結
能一曲の構成はもとより、一足一句の運びまでを支配する表現およびテンポの流れを意味する。












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