近代洋風建築〜小桜館〜

近代洋風建築〜小桜館〜




小桜館(旧西置賜郡役所)

 旧西置賜郡役所は、1878(明治11)年7月の郡区町村編成法発布により、8月着工、11月竣工、12月1日開所、創建の建物です。擬洋風の郡役所で現存するものでは全国唯一です。1カ月遅れで建てられた物では、寒河江にある旧西村山郡役所があります。
 郡役所制度が廃止される1925(大正14)年まで使用され、それ以後も県や国の出先機関事務所として利用され、増改築が繰り返されていましたが、1990(平成2)年から2002(平成14)年まで倉庫、途中取り壊しも想定されましたが、文化財保護団体を中心とした市民運動で保全されました。平成15年度山形県歴史的建造物活用事業で平成の改修工事が行われ、それまでの倉庫から、会議や展示ができる施設となりました。時代的にも地域の歴史文化が見直される風潮となり、ゆったりとした駐車場、中心市街地の立地、明治の洋館の雰囲気などもあり、2005(平成15)年より「小桜館」の愛称となり、幅広く市民に活用されるようになりました。さらに2010(平成22)年には創建時復元の改修工事が行われました。
 間口15間、奥行き4.5間の当時の郡役所建築の定型ともいえる造りであり、中央玄関部のみ間口5間の総2階建てです。玄関は間口2間、奥行き1間のポーチとなっており、庇上部に木製のバルコニーがついています。屋根は創建時瓦でしたが、1908(明治41)年の写真では木羽葺き、戦後はトタン葺き、2010(平成22)年の改修工事では耐久性の高い鋼板横葺きとなりました。
 長井市指定文化財。


小桜館 〜建物と歴史をつなぐエピソード〜

 ここからは、実際に二宮さんに現地「小桜館」を案内していただきながら、建物と歴史についてお聞きしました。

【質問1】 山形県の郡役所が全国から見て早く建てられたのはなぜですか?
 「文明開化」「明治維新」という、新しい時代になったということを明治政府は国民に知らしめなければなりませんでした。そのために明治政府は、なかなか東北地方が江戸時代から抜け出せないということから、山形県令として鹿児島出身の三島通庸が着任しました。そして山形県には11の郡役所が建てられ、その第1号が長井の西置賜郡役所だったのです。郡役所を「西洋館」で建てたのは「時代は明治だ!!」という政府の動きからです。長井がいち早く郡役所建設に踏み切ったのは、最上川舟運の拠点となっていたことにより富と日本の中心からの情報を有することができたからだったのです。

【質問2】 当時の「西洋館」の特徴が小桜館なのですか?
 1878(明治11)年、まさに明治維新から10年ほどで東北の長井まで洋館が建てられるようになったと考えたいのですが、実際はペリー来航が1853(嘉永6)年。1859(安政6)年の横浜開港以降洋館が建ち始め、最も古い1864(元治元)年の写真にはおびただしい数の洋館が写っています。
 つまり、長井の小桜館は横浜に西洋館が建てられてから約20年も経過の後の建物だと言えます。だから、西洋館の特徴といわれる要素は、ほとんど小桜館にみられるのです。
 軒下に壁から直角に出ている「ディンティル(歯飾り)」、木の板を横方向に重ねた「下見板張り」。さらにその板の上に白っぽいペンキを塗り、窓は上げ下げ窓、基礎は石積みの連続基礎、ポーチのついた玄関と、2階の窓から出入りするバルコニーなど、これらはすべて「西洋館」の特徴です。

【質問3】 玄関廻りは西洋館というより日本の神社のように見えますが…?
 西洋館のデザインは建築家がマニュアルをつくったりしていますが、日本の建築家が誕生するのは、明治12年以降なのです。つまり小桜館は、日本人の建築家がデザインしたものではなく、おそらく西洋雛型といった建築指南書を参考にしながら地元の宮大工が造ったもので、玄関の出入り口の上にかかっている横の部材を虹梁(こうりょう)、柱から伸びている部材を木鼻(きばな)と呼びますが、このデザインは江戸後期の神社の向拝部分に近いものです。

【質問4】現在は西側の新設された玄関から出入りしていますが、郡役所としての建物だったときはこのポーチのある玄関から出入りしていたのですか?
 実際、この玄関から出入りしていたのは、当時の議員、役員のような身分の高い人たちです。小桜館を正面から見るとわかるように左側にもう一つ、入り口のようなものがあるのがわかります。
 当時、様々な届出をしにやってくる人々はそちらから出入りしていたものと思われます。現在の1階フロアは改築され、間取りもやや変わっていますが、当時はそういった人たちのための窓口もあったのではないかと想定されます。

【質問5】 建物の内部を見るときは、どんなところに、近代洋風建築の特徴がみられますか?
 特にこれというのは難しいが、室内天井が高いのは、そのころの公共物建築の大きな特徴の一つだと思います。あとは、1階ホールの床、フローリングの張り方は、非常に特徴的で、おしゃれにできています。
 これは、私たちが改修工事を手掛けるようになってから張り替えたものなのですが、元々、このような、斜めにはられていたのをそのままの形で改修したのです。なかなかいいでしょう?
まるで広葉樹の葉脈のようになっているんです。
ここは、偶然にも写真がないので、気になった方は、直接小桜館に足を運んでみて下さいね!


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