近代洋風建築〜桑島記念館〜

近代洋風建築〜桑島記念館〜



桑島記念館

 1927(昭和2)年、初代桑島五郎院長が当時洋行費用16,000円あまりを建設費に投入して創建されました。間口7間、奥行き4.5間、総2階建てで、正面2階に鉄製バルコニー、玄関部に化粧持ち送りの庇がついています。ゴシック建築名残の棟飾りや屋根のドーマー窓、石造りに似せた洗い出しの外壁などが特徴です。当時の新聞には、「鉄鋼コンクリート」と紹介されていますが、実際は木造の骨組み。ただし、外の洗い出し壁は5センチもあり、その下地は、らせん状の鉄網へ砂利を入れたモルタルで固めた強固なもので、「鉄鋼コンクリート」と表現されたとおりです。
 2代目桑島誠院長が働き盛りで急逝の後、商店街の倉庫として利用されていましたが、1995(平成7)年3代目桑島一郎院長が新医院建設のため、やむなく取り壊しを決定しました。しかし、「旧桑島眼科医院保存の会」が中心となって120メートル先の商店街組合の事務所跡に移転保全し、現在中心市街地活性化の拠点となっています。
 約半年の間に行われた曳き移転でしたが、日本各地には建物を移動する「曳き師(ひきし)」の技術があり、戦前までは道路をまたいでの建物移動は当たり前の光景でした。この“建物を曳く”ことによって不要になった人が建物を譲る、という今でいうリユース、“建物のブックオフ”です。戦後自動車社会になり簡単に道路を遮断しての曳き移転は難しく、また戦後の高度経済成長時代は、スクラップアンドビルドが主流となり、曳き師そのものが不要になりました。ただし、長井地域にはまだその伝統があり、さらに曳き師の技術もコンピュータ利用の現代的なものとなり、120メートルの曳き移転が実現しました。また、費用も商店街だけでなく、市民より広く募金、さらには「日本財団」による補助も受け1995(平成7)年の年末には、外装も改修、曳き移転完成セレモニーが行われました。
 長井市指定文化財。


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