置賜三十三観音巡礼
ご開帳とは 置賜三十三観音では、すべての観音堂の観音様が秘仏され、厨子(ずし)と呼ばれる箱のなかに安置されています。その為、その観音様のお姿を拝しお参りすることが出来ません。 ですが、ご開帳ではこの厨子の扉を開き、観音様のお姿を拝しお参りすることが出来ます。 また、各札所で荘厳される五色の紐をにぎることで、直接観音様とご縁結びをして頂くことが出来ます。 インタビュー:「置賜三十三観音札所会」高橋玄舟 会長 A1:「観音経」には、観音様は三十三の姿をとって私達を救済すると説かれていることから「三十三観音信仰」が始まりました。観音様というのは、色々な観音様がいてその時々で“変身”をするのです。人々の悩み・質問に合わせて姿形を変えて教えを授けたり、願いを叶えたりします。その身を変える多さから33という数が出てきたのかもしれませんね。 A2:“身近にある”ということが一番の魅力だと思います。何かあれば、お縋(すが)りしたりお参りしたり出来る仏様が寺々だけでなく身近にあって、人々の願い事を即座に聴いて助けて下さるということが魅力だと思います。たとえ、願いが直ぐに叶わなくとも、何度でもお参りするということも大切です。お百度参りのように何度も何度もお参りしているうちに自分の思ったような“道が開けたり”、“見えてきたり”します。 そんな観音様が近くにいて下さることは大変な魅力です。 A3:特別にはありません。観音様そのものも、寺などの個人のものではないと思います。その土地、土地の地域で造ったのだと思います。地域の人達が祀った為に「黒沢観音」と地名が付いた観音様なのです。置賜三十三観音には、寺の名前などではなく地名が由来となった観音様が多く、中村観音や萩生観音、浅川観音や小野川観音、赤芝観音など様々です。 黒沢観音は元々この場所ではなく、昭和6年に移って来ました。米坂線の萩生駅から椿駅の間に吉兆寺という寺があったのですが、米坂線の開通時に参道が分断されることになり、当時は道が一本しかなく観音堂に行けなくなることから、黒沢地区の住民で話合い現在の場所へ移転することになりました。 ですから、黒沢観音の所有は“地域の方全て”で、「別当」と呼ばれるお守り役がこの高伝寺というわけです。 A4:元々は、大河ドラマ「天地人」で注目された置賜に来られた観光客の方が直江兼続公の後室お船の方が定めた「置賜三十三観音」にも目を向けられ足を運んで頂いたことが始まりです。その際に、三十三カ寺が連携した組織を設立し、全国の巡礼者をお迎えしようと、いきかえりの宿瀧波の女将・須藤恭子さんをはじめとした観光業界や行政機関の働きかけを受け、話し合いや勉強会を重ね、宗派の違いや観音堂の管理の問題などを乗り越え、3年の月日を費やし「置賜三十三観音札所会」を設立するに至りました。 Q5:「置賜三十三観音札所会」の主な活動内容を教えて下さい。 A5:「置賜三十三観音札所会」は設立して3年になるのですが、今年は5月1日から10月31日までの6カ月間をご開帳期間として、全国からの参拝者をおもてなしをするということを目標にしています。しかし、場所毎に出来ることが違う為、防犯上問題のない場所は戸を開けて中をご覧頂いたり、五色のテープで飾りつけをしたりなど、無理をせずに出来ることをしてお迎えしましょうと言っておもてなしの意識付けを行っています。 Q6:「置賜三十三観音札所会」の今後の活動の目標や活動を通して伝えたいことなど教えて下さい。 えることのみならず、活動する我々や地元地域の方々も「もっと観音様を守らなくてはならない」という意識になるのではないかと思います。 「自分達の観音様をもっと何とかしなくてはならない」「自分達の観音様をもっと 見てほしい」という気運が高まれば、他地域の最上や庄内の三十三観音を巡礼して勉強してみたり、お手洗いなどの周辺環境を整備したり、自ずと受入れ体制も整ってくるのではないかと思います。 ご開帳のような機会に改めて観音様について考え、みんなで少しずつ参拝者の受入れ体制や環境を整えていこうという風になれば良いと思います。 一つでも良くすることがご利益に繋がるのではないかと思います。 Q7:巡礼者や一般の方への巡礼の楽しみ方などアドバイスをお願いします。 A7:参拝するのに、特にこれをしなさいという決まりはありません。 ただ、三十三観音それぞれの観音様に「ご詠歌」という歌があり、それが看板に書いてあり、また、「真言」というお唱えする言葉も書いてあります。 ですから、参拝に来られた際には、「ご詠歌」を読んで頂き、「真言」を唱えながら観音様に手を合わせて頂ければ一番良いと思います。 「置賜三十三観音」の中には、山の中など探すのにも大変な場所にある観音様もあります。そこで我々は、道筋などを書いたパンフレットを制作し朱印所などで参拝者にお渡ししておりますので是非ご利用下さい。 ※置賜三十三観音「ご詠歌」・「ご真言」 ご執筆:「置賜三十三観音を勉強する会」須藤恭子 会長 それから、約1年が過ぎ、大河ドラマ「天地人」が始まり、時の流れに押され、たくさんのお客様が来てくださいました。毎月、置賜一円のサービス業の営業マンが集められ状況の報告会がありましたが、何か不安でした。 「今はいいけど、来年はどうするのか?」「このような好景気がいつまで続くのか?」「状況が良い時は、悪いことをイメージして、悪い時は良いことを。」などと考えていた時、あの時のあの先達の言っていたことが、思い出されました。 『そうだ。今なんだ。』 そして、なんといっても、置賜三十三観音は「天地人」直江兼続の奥様のお船が決めたと言われており、まさに、この時は全て決められていたのかもしれません。 その力に動かされるように、平成21年7月皆既日蝕の最中、最上の先達笹原氏と置賜の営業会議メンバー、そして県庁職員の皆様といくつかの札所を巡り、現状を視察しました。 「なるほど・・・。」このような歴史的なものが、これほどにのこっていることに感嘆し、やるべき事に気づいたわけです。 約一ヵ月後の8月末日をもって、営業会議メンバーを主体に、民間の受け皿をつくり、補助金申請を行いながら、観音様を守っていただいている管理寺の方達で、平成22年3月「札所の会」を設立いただき、ここに置賜三十三観音が再び世の中に誕生することとなったわけです。 私達の民間団体は「置賜三十三観音を勉強する会」として、平成22年の5月・6月には置賜、7月・9月には庄内、そして10月・11月には最上のそれぞれの観音様を全てまわり、出羽百観音を満願いたしました。現状の把握と置賜の観音様の連合ご開帳をめざして研修をしたわけです。 平成23年7月には、秩父の札所を巡り、皆様からあたたかい言葉を頂戴いたしました。「決して、慌てないこと。」「全ての方達が同じ気持ちで集うことは、並大抵ではないこと。」「少しずつ、一歩ずつ、歩み高めていくこと。」「あの、日本百観音である、秩父でさえも、はじめた年は足並みが揃わずスタートしたとのこと。」「とにかく、不足あっても、やり遂げるべき」と、教えられました。これ全て観音様のお導きと思っています。 “汝の立つ所を深く掘れ そこに泉あり” まさに、その言葉通りでした。 そして、私達は、更に、官・民・寺と三位一体の総合力でこのことに取り組もうとしています。このことが、私達の強みとして、何年後、何百年後もきっと、魅力ある観音様として、残っていることを確信いたします。 時は今、この時代、手を合わせ、東北の山形の置賜の大地に残っている、『宝』を後世に残していきましょう。 ◎取材協力者 高橋玄舟(置賜三十三観音札所会 会長 ・ 曹洞宗高伝寺 24世) ◎執筆者 須藤恭子(置賜三十三観音を勉強する会 会長 ・ いきかえりの宿瀧波 専務) 清水晶(置賜文化フォーラム) ◎写真提供 飯豊町総務企画課・置賜総合支庁産業経済企画課観光振興室 ◎関連WEBサイト 置賜三十三観音札所会のオフィシャルサイト 印刷用PDFはこちら |
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