1.うきたむの大地 持統天皇3年(689)正月3日、優嗜曇(うきたむ)郡(置賜地方)の2人の若者が都へ正月参賀に参上しています。先住民の蝦夷(えみし)(※もともと東北日本に住んでいた人々を大和朝廷が異族視して呼んだ呼称)です。新年の祝辞の後、天皇に沙門(仏僧)になることを願い出ました。『日本書紀』の記事の一コマです。 このことから和銅5年(712)の出峭餬国以前に置賜地方は優嗜曇郡であったことがわかります。もともとこの置賜地方に郡が置かれるほど大勢の蝦夷が住んでいましたので人口が多い豊かな地方であったとみられます。 実は置賜地方は、はるか4〜5万年前から人が住みつき、1万5千年前から2千5百年前までの縄文時代の遺跡は大変多く残っています。その後の弥生時代・古墳時代も大勢の人口を有する地域でした。 優嗜曇は、蝦夷がこの地方を呼ぶ「ウキタム」の音にあわせて倭人が書いた宛字(あてじ)です。おきたま地方はうきたむの大地に他なりません。 1万年以上も栄えた縄文文化の時代は、遺跡の数からみるかぎり東日本が日本列島の中心でした。中でも東北地方は遺跡が数多く、さらにその中でも置賜地方は遺跡分布が濃密でした。 2.華開く縄文ムラ―押出遺跡―
遺跡は地中深く保存され、出土品の顕著なもの1,100点余が国指定重要文化財に指定されました。国指定文化財の数として県内では、上杉家古文書に次ぐ多さです。出土品はうきたむ風土記の丘考古資料館で保存・展示していますが、国内はもとより海外からも見学者が訪れています。国内で縄文時代のことを書いた本が出版されるときは、
3.押出縄文カレンダー 1万5千年前から始まる縄文時代の人々は、食文化の上で大きな革命を起こしています。それ以前の旧石器時代には獣肉中心の肉食の食生活とみられていますが、魚や貝類、野菜なども食べる生活でした。これは和食の源流とも言うべき革命的な出来事です。そうした縄文人の代表例として押出ムラの縄文人が生業を中心にどのような生活をしたか復元したのが第1図の押出ムラ縄文カレンダーです。 4.縄文クッキー このカレンダーには示されていませんが、土器や木製品・編み物などに漆を塗る漆芸品作りやクリ・クルミの粉を練って作るクッキー作りはとても重要な仕事でした。特にクッキーは、おおかたの日本人の想像を超えたもので、日本を瑞穂(みずほ)の国と呼んで米食中心の和食を語る現代人の考えとは異なります。
実は山形県だけでなく全国の縄文遺跡でパン(パン状炭化物)が発見されていました。ですから調査員の方はクッキー(クッキー状炭化食品)とわかって驚いたものです。クッキーは初めてでしたから。第2図の写真は炭化して発見された押出ムラのクッキーです。炭化している上、破片ですのでイメージし難いのですが、楕円形の板状に練り上げて焼き上げて作ったものです。東京大学で分析した結果、クリやクルミ(堅果類の木の実)の粉を練って作っていることが明らかになりました。
5.縄文クッキー作りを体験しましょう
作り方を4コマ写真にしたのが第3図の写真です。クリとクルミの粉だけでは現代人は物足りないと思いますので鳥肉とウズラの卵・塩も入れることにしました。すべて細かくして練り上げ、渦巻き紋様を入れましょう。焼いた石の皿で焼いて完成です。材料の配分で美味しくできます。お子様と家族で楽しむことができます。 うきたむの大地に珠玉のように華開いた押出縄文人の世界に浸って、縄文クッキー作りはいかがですか。そしてお味は・・・・と、おすすめいたします。 現代に商品化された縄文クッキー 提供)高畠製菓組合 左)ドッキ土器クッキー(ナッツ味) 右)縄文クッキー(チーズ味) 古代レシピに近づけ干し牛肉が入っているのが特徴 〇掲載日 平成24年11月 印刷用PDFはこちら |
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