58押出遺跡と縄文クッキー

 

 1.うきたむの大地

 持統天皇3年(689)正月3日、優嗜曇(うきたむ)郡(置賜地方)の2人の若者が都へ正月参賀に参上しています。先住民の蝦夷(えみし)(※もともと東北日本に住んでいた人々を大和朝廷が異族視して呼んだ呼称)です。新年の祝辞の後、天皇に沙門(仏僧)になることを願い出ました。『日本書紀』の記事の一コマです。
 このことから和銅5年(712)の出峭餬国以前に置賜地方は優嗜曇郡であったことがわかります。もともとこの置賜地方に郡が置かれるほど大勢の蝦夷が住んでいましたので人口が多い豊かな地方であったとみられます。
 実は置賜地方は、はるか4〜5万年前から人が住みつき、1万5千年前から2千5百年前までの縄文時代の遺跡は大変多く残っています。その後の弥生時代・古墳時代も大勢の人口を有する地域でした。
 優嗜曇は、蝦夷がこの地方を呼ぶ「ウキタム」の音にあわせて倭人が書いた宛字(あてじ)です。おきたま地方はうきたむの大地に他なりません。
 1万年以上も栄えた縄文文化の時代は、遺跡の数からみるかぎり東日本が日本列島の中心でした。中でも東北地方は遺跡が数多く、さらにその中でも置賜地方は遺跡分布が濃密でした。

  2.華開く縄文ムラ―押出遺跡―


現代の押出遺跡の場所
(山形県東置賜郡高畠町深沼周辺)
提供)山形県うきたむ風土記の丘考古資料館
  そのような縄文遺跡密集地帯に大輪の華のようにひときわ目立つ遺跡があります。高畠町押出(おんだし)遺跡です。うきたむの語源になった大きな低湿地「大谷地」のど真ん中に、今から5800年前に突然できた「縄文のムラ」です。5700年前には水中に没してしまう「縄文のタイムカプセル」です。今は水田の表面から2mも深いところに眠っています。

縄文時代押出ムラでの生活予想図
提供)山形県うきたむ風土記の丘考古資料館
 この遺跡の発見は昭和46年(1971)ですが、昭和60年(1985)から国道13号線バイパス工事に伴って4,000屬発掘調査されました。この狭い範囲から39棟もの平地式住居跡が発見され、大量の縄文土器・石器・木製品・石製品などが出土しました。発掘調査でわかったことは、関東地方や北陸地方からも縄文人が訪れる特産品をつくるムラで、特産品の漆製品・食品・石器など歴史資料として価値の高いものが多くあることでした。
 遺跡は地中深く保存され、出土品の顕著なもの1,100点余が国指定重要文化財に指定されました。国指定文化財の数として県内では、上杉家古文書に次ぐ多さです。出土品はうきたむ風土記の丘考古資料館で保存・展示していますが、国内はもとより海外からも見学者が訪れています。国内で縄文時代のことを書いた本が出版されるときは、

第1図押出縄文カレンダー
拡大図はこちら
ほとんどの本に掲載されます。

  3.押出縄文カレンダー

 1万5千年前から始まる縄文時代の人々は、食文化の上で大きな革命を起こしています。それ以前の旧石器時代には獣肉中心の肉食の食生活とみられていますが、魚や貝類、野菜なども食べる生活でした。これは和食の源流とも言うべき革命的な出来事です。そうした縄文人の代表例として押出ムラの縄文人が生業を中心にどのような生活をしたか復元したのが第1図の押出ムラ縄文カレンダーです。

  4.縄文クッキー

 このカレンダーには示されていませんが、土器や木製品・編み物などに漆を塗る漆芸品作りやクリ・クルミの粉を練って作るクッキー作りはとても重要な仕事でした。特にクッキーは、おおかたの日本人の想像を超えたもので、日本を瑞穂(みずほ)の国と呼んで米食中心の和食を語る現代人の考えとは異なります。

第2図 押出遺跡から炭化して発見された
縄文時代のクッキー
写真提供)山形県うきたむ風土記の丘考古資料館
 日本が米食中心の瑞穂の国になったのはおよそ2千年前頃からのことで、それ以前はパンやクッキーを食べる1万年余の食生活があったのです。これを話すと中学生や高校生からウッソ―と云われたことを思い出します。
 実は山形県だけでなく全国の縄文遺跡でパン(パン状炭化物)が発見されていました。ですから調査員の方はクッキー(クッキー状炭化食品)とわかって驚いたものです。クッキーは初めてでしたから。第2図の写真は炭化して発見された押出ムラのクッキーです。炭化している上、破片ですのでイメージし難いのですが、楕円形の板状に練り上げて焼き上げて作ったものです。東京大学で分析した結果、クリやクルミ(堅果類の木の実)の粉を練って作っていることが明らかになりました。

押出遺跡で発見されたクリの皮、クルミの殻
山形県うきたむ風土記の丘考古資料館にて撮影
住居の周りにクリの皮やクルミの殻がおびただしく発見された意味がわかりました。私たちの想像では、獣肉・鳥肉の細切れや卵・塩も加えたであろうと思うのですが、 炭化しているため、そこまでは明らかにできないとのことでした。




  5.縄文クッキー作りを体験しましょう


第3図 縄文クッキー作り
写真提供)山形県うきたむ
風土記の丘考古資料館
 縄文クッキーの発見は大きな反響を呼んでいます。これまでも海外で展示され、2004年〜2005年にかけて展示されたドイツ国内では大きな反応があったと言われています。瑞穂の国日本の祖先はクッキーを食べていた。世界最古のパンを食べたエジプト人より早く。ドイツ人もビックリしたそうです。東京や大阪のテレビでも何度も放映されました。高畠町でもお菓子屋さんの組合で「縄文クッキー」なる菓子を作って販売しています。
 作り方を4コマ写真にしたのが第3図の写真です。クリとクルミの粉だけでは現代人は物足りないと思いますので鳥肉とウズラの卵・塩も入れることにしました。すべて細かくして練り上げ、渦巻き紋様を入れましょう。焼いた石の皿で焼いて完成です。材料の配分で美味しくできます。お子様と家族で楽しむことができます。
 うきたむの大地に珠玉のように華開いた押出縄文人の世界に浸って、縄文クッキー作りはいかがですか。そしてお味は・・・・と、おすすめいたします。

現代に商品化された縄文クッキー 提供)高畠製菓組合
左)ドッキ土器クッキー(ナッツ味) 右)縄文クッキー(チーズ味)
古代レシピに近づけ干し牛肉が入っているのが特徴

 


〇掲載日 平成24年11月

〇執筆  佐藤鎭雄       山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館 館長        ○写真提供 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館
      高畠菓子組合 ○編集  東野真由美(置賜文化フォーラム)



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