全国に英名が轟く山形花笠まつりは、山形県の熱い夏祭りの一つ。山形市内で繰り広げられ、花笠音頭が同市内目抜き通りにこだまします。
このパレード参加者が手にしている花笠は、じつは飯豊町中津川(なかつがわ)地区で作られているのです。同地区では昔から農作業時などに使う菅笠(すげがさ)が編まれていて、1963(昭和38)年から毎年花笠まつりに花笠を提供している長い歴史があるのです。 同町によると、2010(平成22)年度に中津川地区から農協に出荷された菅笠は約4,000枚に上るそうです。 もともと、菅笠は雨や日差しよけなどを目的にスゲの葉を編んで作られ、笠の形も頭頂部がとがったものやなだらかなものなど様々です。まつりで使用される花笠には、鮮やかな紅色の造花が装飾されています。 同地区では、農作業用などに使用するためかつてはどこの家庭でも菅笠を作っていたそうですが、今ではめっきり菅笠を使う機会が減り、一般の人たちにはまつりや物産館で見る花笠のほうが馴染み深いのではないでしょうか。 田園風景が広がる同地区で、菅笠作りに50年以上携わっておられる伊藤よしさん(74)にお話を伺いました。 子ども時代、よく母親の傍らで菅裂きを手伝っていたと懐かしそうに振り返ります。嫁ぎ先では義母の手技を見よう見まねで覚え、20歳代半ばで菅笠作りの一連の作業を身につけたそうです。
材料となる菅の刈り取りは、昔から夏の土用を過ぎてからといわれ、7月20日過ぎごろから作業を始めるそうです。伊藤さんは昔ながらの鎌を使った手刈りで一束一束ていねいに刈り取っています。 自家用として菅笠を作っていたころは、地元の山から菅を刈っていましたが、まつりに提供するようになってからは、制作数が増えたため、現在は減反政策で休耕田となった田んぼで菅を育てています。 刈り取った菅は3〜4日程度天日干しするのですが、夜露に濡れないよう夕方には取り込むことを忘れてはいけないそうです。夜露にあたると色合いが悪くなり、淡いクリーム色に仕上がらないのだそうです。刈り取り、乾燥作業は9月半ばまで続きます。 11月半ばを迎えると、いよいよ菅編みの作業へと移っていきます。刈り取った菅を全部使うわけではなく、横に絡めていく細めの菅と、縦につけていく菅、そして、途中で折れていたり色味が悪かったりして使えない部分とに分けていきます。 横に絡めていく菅は、まるで一本の長い長いものを骨組みに絡めているような仕上がりに見えますが、じつは30〜40cmほどの菅をいくつも継ぎ足しているのです。接着剤の類はいっさい使わず、たわみが出ないよう菅を骨組みに巻きつけ継ぎ足していく技は、ベテランの証です。 「よく見ててごらん」と、伊藤さんは慣れた手つきで右手で菅を骨組みに巻きつけると、左手で継ぎ足し部分を絡め合わせていきます。小気味よく絡み付けていく手さばきはまるで柔らかな毛糸で編み物をしているようです。
こんな熟練の手技で作業をこなす伊藤さんでも花笠一つを仕上げるのに2時間ほどかかるそうで、一冬かけて約300個の花笠を作るのが精一杯だそうです。 伊藤さんは義父母と一緒に花笠作りに励んでいる写真を懐かしそうに見ながら、「以前はお姑さんと同じくらい菅笠を作らなければいけないという気持ちだったけど、今は気楽なもので一人でのーんびり作ってるんだぁ」と表情を和らげます。 過去には地区の婦人会活動で、山形市の花笠まつりに参加したこともあるといいます。そのころは地区内に菅笠を作っている人は40人ほどいたそうですが、現在は半分の20人ほどまで減少しており、「昔は菅笠片手に近所までお茶のみに行っていた。だんだん作る人が減ってきて寂しいなぁ」と語ります。 「夏の刈り取り作業が年々辛くなってきたけど、飯豊町の花笠で一人でも多くの人に踊ってもらえるよう、手が動くうちは頑張りたい」と菅を編む作業にも熱が入ります。 しんしんと雪が降る中、今日も伊藤さんは菅笠作りに精を出しています。花笠パレードを見に訪れた際には、踊り手の躍動感とともに、飯豊町のおじいさん、おばあさんが丹精込めて作った花笠にも目をとめてみてください。 ○掲載日 平成23年1月 ○執筆者 大竹茂美(置賜文化フォーラム事務局) ○取材協力 伊藤よしさん(菅笠制作 飯豊町) 印刷用PDFはこちら |
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