4 獅子の歩み
獅子踊りの基礎を知ることで、地域の伝承文化を身近に感じることができます。 そこで、東北文教大学=山形市片谷地=短期大学部で、民俗学を研究してしている菊地和博(きくちかずひろ)教授に獅子踊りの歴史や特徴について話を聞きました。 ―「獅子踊り」と「獅子舞」という名前をよく聞きます。似たような名前ですが、そもそも違いはどこにあるのでしょうか? 獅子踊りは主に東日本に伝わる伝統芸能で、そのほかでは四国や北陸の一部地域で見ることができます。一方、獅子舞は全国的に伝わっており、もともとは「伎楽(ぎがく)」という芸能とともに、飛鳥時代に中国から伝来したもので、獅子踊りとは別のものです。 また、踊りを見比べると、獅子踊りは頭一つに踊り手一人が入るのに対して、獅子舞は幕が付いた頭の後ろに複数の人たちがその中に入って舞うスタイルとなっています。 ―名前は似ていますが、ルーツに大きな違いがあるのですね。獅子踊りのほうについてですが、踊りはもちろん、特徴的な獅子頭が目に飛び込んできます。いったい、獅子頭はどんな動物をモチーフにしているのでしょうか? 現在の獅子頭はだいぶ抽象化された顔立ちですが、本来はイノシシやシカ、ニホンカモシカなど日本に生息している獣が原型となっています。「獅子」や「鹿子」と表記する地域もありますが、私は混乱を招かないようあえて「シシ」とカタカナで表記するようにしています。 ちなみに、獅子舞のほうの獅子頭は日本には生息していないライオンが原型となっていて、外来の踊りだということがうかがえます。はじめは頭そのものが魔よけの意味を持っていましたが、その後、幕が付いて今のように舞うスタイルとなってきました。また、獅子舞のほうは口が動くのも大きな違いですね。 ―口が動かない獅子頭が獅子踊りですか。初めて見る人には一番理解しやすい違いですね。さて、獅子踊りのほうですが、これはいつごろから行われていたのでしょうか? 獅子踊りの起源については、江戸期以前からという考え方と、江戸期以降からというのとで学説が分かれるところです。私の考えでは、中世末から江戸期前には成立していたのではないかと思います。 なぜなら、伊達家文書の一つである「貞山公治家記録」(ていざんこうちけきろく)に、伊達政宗が家臣の片倉小十郎の家で獅子踊りを見たという記録が残っているからです。時代は1587(天正15)年7月24日の夜で、わずか2行ほどの記述ですが、信憑性がある記録だと思っています。少なくともこれ以前には獅子踊りが成立していたのではないかと思います。 ―なるほど。史料をもとに獅子踊りの年代を遡ると、伊達家文書にヒントが隠されていたのですね。意外な所に手がかりがあるのですね。では獅子踊りはどんな時に踊られていたのでしょうか? 現在の獅子踊りは一般的に、先祖供養としての意味合いが強いですが、本来は無縁仏供養にあったと考えられます。恨みつらみを残して亡くなった人たちの祟りを恐れる村人が、霊から村を守ろうと行っていた鎮魂芸能です。 現在も東北北部の岩手県や秋田県、青森県ではお盆前後に墓地の一画で獅子踊りを奉納している団体があります。福島県会津地方の彼岸獅子は、周辺住民が仏壇を開けて獅子を待つそうで、やはり鎮魂芸能としての役割がうかがえます。 現在減少傾向にある獅子踊りですが、この役割を担っていたとすれば、地域ごとに踊りがあったかもしれないですね。 ―県内外の獅子踊りと比較して、置賜地域の獅子踊りにはどのような特徴があるのでしょうか? 置賜地域を考える前に、山形県内の獅子踊りに目を向けてみると、ある境界線が見えてきます。それは踊りに登場する獅子の頭数が変わっていく境界線です。 村山、最上、庄内地方では5頭、7頭、ときには8頭と多く獅子が登場するのに対して、置賜は3頭構成となっています。じつは隣接する福島県にもこの3頭構成の地域があります。 3頭構成の境界線が意味するものは何なのだろうかと、時代を遡り、戦国武将が統治する政治支配領域と照らし合わせてみると、可能性の一つとして伊達家の影響が見えてきます。つまり、山形県内では伊達家の領土と最上家の領土が文化を隔て、3頭構成の境目と近い形になっているのです。このことから、置賜地域の獅子踊りは山形県でまとめるよりもむしろ、福島県側の歴史文化と組み合わせると分かりやすいです。 ―獅子踊りと政治支配領域。一見すると関連性がなさそうな語句ですが、民俗学を探っていく上では当時の歴史や文化、領域が重要なのですね。獅子踊りを掘り下げていくと、当時の歴史的背景が見え隠れし、新たな魅力を知ることができました。 ちなみに、綱木獅子踊が伝わる米沢市綱木地区は、会津街道の宿場町として栄えていました。さらに会津以南には栃木県とつながる西会津街道というルートがあります。このことから栃木県〜福島県〜置賜地方という伝播の流れが考えられます。 この綱木獅子踊には関東肥挟踊りが伝わっていますが、栃木県には関東文挟流があり、名前が似ていますね。このほかにも、関東火挟流(かんとうひばさみりゅう)という流派のものが伝わる地域もあり、名前が類似していることから関東文挟流と何らかの関わりがあるものと考えられます。 ―長年、調査研究に取り組んでこられた菊地教授から、初めての人でもわかりやすい獅子踊りを見るポイントは何かありますか? 獅子踊りの多くは、踊りの内容や歌から共通性を見つけるのが難しく、本当に不思議に思うくらい地域ごとに変化に富んでいます。 そんな多彩な獅子踊りには、雌獅子が舞台から一時的にいなくなる演目があります。地域によって雄同士で探したり、雌獅子を巡る三角関係を表したりと若干の違いはありますが、数少ない共通する場面の一つです。いったいどの瞬間にその場面が出てくるのか、見比べてみるのもおもしろいのではないでしょうか。 これまで研究活動の一環として、獅子踊り調査のため各地を訪れてきましたが、イベント出演を除くと年に一度きりの奉納しか行っていないものが多く、一度に全ての獅子踊りを見るのはきわめて難しいです。 ―最後に、菊地教授にとって民俗学や獅子踊りとはどのような存在でしょうか? 民俗学は過去の庶民の生活文化を明らかにするとともに、今日的な課題、たとえば過疎化、少子化、人々のきずなの希薄化、地域の活力の減退などの困難さを乗り越えていくために役立つものでなければならないと思っています。 獅子踊りなどの民俗芸能は、地域固有の文化であり、地域の誇りです。そして、唄や踊り、楽器演奏などを通して地域の人々の結束を強める効果的な手段でもあります。地域に根づいた文化の大切さをみんなで理解し、継承発展させていくことが地域共同体を維持していくうえで重要だと思っています。 ―ありがとうございました。 ○掲載日 平成22年11月 ○執筆者 大竹 茂美(置賜文化フォーラム事務局) ○取材協力 山田長一さん(梓山獅子踊保存会・梓山下組獅子踊保存会会長) 後藤哲雄さん(小松豊年獅子踊保存会メンバー) 佐藤弘一さん(綱木獅子踊り保存会会長) 雨田秀人さん(綱木地区獅子踊りを考える会会長) 菊地和博さん(東北文教大学短期大学部教授) ○写真提供 梓山獅子踊保存会 小松豊年獅子踊会 綱木地区獅子踊りを考える会 ○関連ページ 小松豊年獅子踊 印刷用PDFはこちら |