有機農業の里をたずねて



 有機農業とは化学肥料や除草剤などを使わず、自然の状態に近い状態で農業をすること。昭和30年代には急速に農業が近代化され、化学肥料などが大量に使われました。なかには人体に有害なものも少なくはないでしょう。有機農業は私たち人間や自然に優しい農業の方法なのです。
 現在では消費者、生産者の立場からも注目されています。高畠町上和田は有機農業にいち早く取り組んだ地域で「上和田有機米」といえば皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。「有機農業のふるさと」と呼ばれる高畠町、その場所から広まった農業の輪をのぞいてみましょう。
 上和田で有機農業の取り組みが始まった当時、有機農業研究会の会員であった星寛治さんにお話しを聞きました。

 有機農業はここから始まった

―ここ高畠町の上和田地域といえば有機農業で有名ですよね。有機農業を始めたきっかけはどんなことだったのですか。

 上和田の当時20代だった若い農家の何人かは農業の近代化の中、化学合成された農薬を使って作物を生産していくことに疑問を抱いたのですよ。
 近代化されていく農業のなかには、様々な危険が潜んでいるということに気付きました。農家が農薬を使用することによって急性中毒の様に健康障害がおこりますし、そのうち、農薬を使っても病害虫は防ぎきれないといったことがわかってきたのです。そしてもうひとつは環境問題。それまで上和田の田んぼや小川などにはたくさんの生物が生息していたものが姿を消していったのです。それは上和田だけでなく、全国的な問題でした。
 そこで原点に立ち返り、命と環境に優しい農業をもう一度探求しようと考えた、これが出発点だったのです。40年ほど前の高畠の若い農民たちは青年団等の学習の中でそう気付き、先進地を視察するなどの行動を起こしていったのでした。


―有機農業を始めた当時は苦労することが多かったのではないかと思います。どんな作業が大変でしたか?

 昭和49年に有機農業をスタートしたのですが、最初は失敗の連続でした。
 除草剤を使わない農業ですから、それまで生えてこれなかった雑草たちが今までの恨みを晴らすかのようにどんどん伸びてきたのですよ。手押しの除草機で2回くらい往復して、そのあとは四つんばいで泥まみれになってまた2、3回草をとったものでした。
 それから虫も発生します。放っておくと、稲が虫に喰われて田んぼが真っ白になってしまうので、稲についた虫を退治するために座敷ほうきで稲についた虫をふり払うということをしました。そのあと除草機で泥の中に埋め込んでしまうんです。この方法は「泥追い虫」というのです。当時はこうやって害虫を駆除していました。それをすると、まただんだんと稲たちの青みが復活してくるのです。
 有機農業を始めて1、2年は、普通の農業の5倍も10倍も手をかけて米の収穫量は平年の半分ほどでした。

 3年目の正直

―はじめ、収穫量が満足に確保できなかったということですが、有機農業で初めて成果を得られたのはいつだったのですか。

 有機農業で稲作を始めて3年目の時(昭和51年)でした。有機農業では堆肥を主に使うのですが、化学肥料のようにまいてからすぐ効いてはくれないのです。3年目でやっと生育状況がよくなってきて、良い収穫を期待できるかと思っていました。
 ところが、この年は梅雨がいつまでたっても明けず、お盆にコタツを出してお客さんを迎えなければならないような冷夏の年だったのです。通常なら稲の穂が出始める8月の20日頃を過ぎてもまったく穂が出ない状態でした。今年は収穫が皆無に終わるのではないかとあきらめかけていたのです。


収穫時期の様子
 9月に入って1ヶ月遅れの夏がやってきました。稲穂がやっと出てきたのですが、穂に半分も実が入らない状態で、田んぼはさんたんたる状態でした。生育のよいときの黄金色の田んぼからは程遠いものです。ところが、その悲惨な状態の中で、黄金色の田んぼがポツン、ポツンと見えたのでした、まるで奇跡のように。その田んぼは有機農業研究会の会員の田んぼだったのです。
 農薬を使わなくてもちゃんと平年作を確保できる、地力というものが豊かになっていけば健康な作物が育って異常気象に打ち勝つような作柄を得ることができるということを、初めて経験的にわかったときでした。3年目の正直ですよ。



―3年目のその年には始めての成果が得られたわけですね。でもなぜ、有機農業の田んぼでは冷夏の年、十分な収穫を得られたのですか?

 その後、昭和50年代の後半にも4年続けて冷害が続きましたが、私たちの有機農業の田んぼでは平年並みの収穫を確保できました。これでやっていけるという自信が付いたのでした。
 しかし、なぜ、冷害の年でも平年作を確保できたのか、そのときはわからなかったのですが、あるとき、一人の会員が、田んぼの泥の中に温度計をさして土の温度を確かめてみたのです。そして、畦ひとつをはさんで隣の慣行農法の田んぼの温度を測って見ました。すると、有機農業の田んぼのほうが、慣行農法の田んぼより3℃ほど温度が高かったのです。それは、目に見えない微生物たちの生命活動のお陰で温かい土になっているのでした。その温度の差が異常気象にも強い土壌にしていたのです。
 有機農業は38年たった今でも基本的な方法は変わっていません。原点に立ち返って始めた農業は、その信念を曲げず行ってきたことで良い結果を生み出しました。


上和田を日本の理想郷に…

―これまで農業に取り組んできた星さんにとって「有機農業のふるさと、上和田」はどんなところですか。


有機農業に取り組む姿

 ここは、空気も澄んでいるし水もきれいです。それに上和田には日本の農村の原風景がしっかり残っています。自然を大事にするという伝統的な気風は有機農業に通じているのです。上和田の風土そのものが宝なのです。
 上和田には文化的な要素もあります。よその農村にはないような文化の薫りのするようなそんな新しい村づくりをしていきたいと思っています。

―ありがとうございました。
有機農業を通して、全国の人に知られるようになった上和田をもっともっと住みやすいように作っていきたいですね。




○掲載日    平成23年 4月

○執筆者    鈴木 真紀(置賜文化フォーラム事務局)

○取材協力  星 寛治さん(上和田有機米生産組合 顧問)
                   (たかはた共生塾 顧問)

○写真提供  星 寛治さん
          上和田有機米生産組合

○関連ページ ゆうきの里さんさんホームページ
          上和田有機米生産組合ホームページ




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