井上ひさし先生と遅筆堂文庫




1 遅筆堂文庫の誕生
遅筆堂文庫は置賜盆地の中心にあり、置賜盆地はまた地球の中心に位す。我等はこの地球の中心より、人類の遺産であり先人の智恵の結晶でもある萬巻の書物を介して、宇宙の森羅万象を観察し、人情の機微を察知し、あげて個人の自由の確立と共同体の充実という二兎を追わんとす。個と全体との幸福なる共生を追求せんとする我等は彼の幼稚なる理想主義者のドン・キホーテと同じく嗤われるべきであるか。応、嗤わば嗤え、我等は日本のドン・キホーテたちである。町の有司、若人たちの盡力によりいまここに発足する当文庫は、有志の人びとの城砦、陣地、かくれ家、聖堂、そして憩いの館なり。我等は只今より書物の前に坐し、読書によって、過去を未来へ、よりよく繋げんと欲す。
  一九八七年八月 敗戦記念日


 これは遅筆堂文庫開館にあたって、井上ひさしさんが書かれた「遅筆堂文庫堂則」です。



川西町出身の井上ひさし
さん=撮影・佐々木隆二氏
 遅筆堂文庫がオープンしたのは1987(昭和62)年8月15日。「川西町農村環境改善センター」で産声を上げました。井上ひさしさん53歳の時です。現役で活躍する作家の蔵書が閲覧できる図書館として大いに注目を集めました。
 井上ひさしさんは、1934(昭和9)年11月16日山形県東置賜郡小松町(現・川西町)で生まれました。時代はまもなく戦争に突入。戦中に幼・少年期を過ごし、敗戦の時は、国民学校の5年生でした。作家志望の父と文学好きの母の影響で、本に対する興味関心は幼いころに芽生えましたが、周りには、選んで読めるほどの本が揃っていませんでした。そのことがふるさとへ蔵書を贈り文庫を作るひとつのきっかけになっています。

遅筆堂文庫をはじめ、劇場などが
併設されている複合施設の川西町
フレンドリープラザ

 遅筆堂文庫開館から7年後の1994(平成6)年8月1日、遅筆堂文庫は、劇場を合わせもつ複合施設「川西町フレンドリープラザ」として新たなスタートを切りました。劇場(712席)ができたことで「こまつ座」の芝居が上演できるようになったのです。蔵書は図書システムへの登録が実現し、ネット検索すれば誰でも、どんな本が収蔵されているかを見ることができるようになりました。その時登録された蔵書数は約7万冊。
 遅筆堂文庫は、現在、井上ひさしさんの蔵書20万冊を収蔵する図書館となりました。2010(平成22)年11月には、「井上ひさし展示室」として、略年譜と、小規模ながら企画展示ができるコーナーが完成しました。これまでは、図書館としての機能を重視してきたため、設置してこなかった足跡や功績を紹介する情報を充実させました。

本の樹には全国から約650冊
の井上著作本が集まりました

 展示のメインは「本の樹」。全国から井上ひさし著作本の寄付を募り、はがき大のメッセージカードとともに展示するというものです。一定期間展示したあと、著作本については学校施設等、読書環境向上のために有効に活用し、メッセージカードは別綴りで遅筆堂文庫に保管していくという趣向となっています。寄贈者の一番の愛読書や、次の世代に読んでほしい本を募りましたが、「大事な本はあげられません」という連絡をいただく一方、「もう一冊買って贈ります」という方や、150冊の本をまとめて寄贈してくださる方もおりました。


2 もうひとつの柱「遅筆堂文庫生活者大学校」

 遅筆堂文庫の開館と並行して開催してきたのが「遅筆堂文庫生活者大学校」です。開館一周年記念日の1988(昭和63)年8月15日に第一回の生活者大学校が開催されました。テーマは「農業講座」。国鉄の民営化・コメ輸入の自由化の問題に積極的に発言していた井上ひさしさんが「時代に流されるのではなく、自分の頭でしっかり考えよう」と語りかけました。その後毎年一回開催され「自らの暮らしのあり方を考える」講座として、全国から参加者が集いました。
 井上ひさしさんが校長を、佐賀の農民作家・山下惣一さんが教頭をそれぞれ務めてこられました。農業問題を基本に、その時々の旬な話題をテーマに掲げ、第一線で活躍する講師をお招きしてきました。井上校長が最後に出席したのは2008(平成20)年に開かれた第21回「おいしい餃子の作り方」。中国の冷凍餃子問題が発生した時期でした。
 生活者大学校は2010(平成22)年11月、第23回が開かれました。テーマは「農村で生命を考える」。早稲田大学教授の生物学者 池田清彦さんをゲスト講師に、教頭の山下惣一さん、地元から高畠町の農民・詩人 星寛治さんに登壇いただき、生命を考える2日間になりました。井上校長の講座は聞くことはできませんでしたが、これまで20年に及ぶ講座は「ものごとを考えるときの基本」を端的に表してくれています。あわせて、この間の講師陣の素晴らしさは群を抜いていました。多くの講師の皆さんが、川西町を訪れ、参加者といっしょに食事をしながら、テーマについて考え、そして語り合ったのです。その中心には、いつも気さくな井上ひさしさんの存在がありました。
 井上さんのふるさとに対する想いは複雑なものがありました。その想いの一端は短編「あくる朝の蝉」(『四十一番の少年』に収録)に綴られています。他に、小松での暮らしが舞台になった作品としてあげるとすれば『下駄の上の卵』『イソップ株式会社』『本の運命』などがあります。「迷惑をかけるから……」と、小松でのことを作品の直接的な舞台としてあまり取り上げていませんでした。


3 小松・一関・仙台・市川・鎌倉・・・井上ひさしがたどった道

 「遅筆堂文庫」が川西町にあり、一関市には「文学の蔵」、仙台市には「仙台文学館」、市川市には「市川文学プラザ」があります。そして鎌倉市には「鎌倉文学館」があり、それぞれのところでの井上ひさしさんと地域のかかわりがいろいろな形で表現されています。
 2010(平成22)年11月17日、一関市の「文学の蔵」で「井上ひさしさんを偲ぶ会」が開かれました。文学の蔵会長で、作家の及川和雄さんから、「一関時代の井上ひさしの150日」と題する記念講演がなされ、井上ひさしさんが作家になることを志した街「一関」の様子が報告されました。そこには、同級生 菅原貴之さんとの交流があり、仙台に移り住んだあとの手紙のやり取りやその後の交流を含めたこれまで発表されなかった貴重な報告がありました。
 いずれ、活字の形で発表されるに違いありません。それぞれの地で、井上ひさしさんの志は生きています。
 いずれの施設でも、井上ひさしさんに関係する展示がされており、それぞれの足跡をたどりながら、想いを馳せるのも興味深いことです。


4 遅筆堂文庫のこれから


遅筆堂文庫堂則と井上ひさしさん
直筆のサインが入ったダルマ

 2010(平成22)年4月9日、井上ひさしさんは75歳の生涯を閉じられました。これまでならば、井上ひさしさんに直に相談しアドバイスをいただくことができたのですが、それが叶わなくなりました。亡くなられて、あらためてその存在の大きさを実感させられました。
 開館から24年目に入った遅筆堂文庫は、井上蔵書の活用を基本に、功績をしっかり伝え、しかしそこに留まることなく未来を拓く施設にしていきたいです。井上ひさしさんと萬巻の書物を手引きにすれば、新しい価値基準が生みだせるのではないでしょうか。そう思えます。
 「我等はこの地球の中心より、人類の遺産であり先人の智恵の結晶でもある萬巻の書物を介して、……」文庫開設の井上ひさしさんの想いをしっかり受け止め、運営に生かしていきたいです。



        



○ 掲載日 平成23年 4月

○ 執筆者 阿部孝夫(遅筆堂文庫館長、NPO法人遅筆堂文庫プロジェクト代表)





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