“巨”シリーズ第2弾は「巨石編」です。 普段、じっくりと巨石に見入る人は少ないかもしれませんが、山あいにひっそりとたたずむ巨石、寺社仏閣に鎮座する巨石には名前が付けられている場合があります。長い年月を経て、伝説が残っているものも少なくありません。 間近で見ると、その大きさと迫力に圧倒されるでしょう。普段は見過ごされがちな巨石を巡り、置賜の雄大な自然を満喫してみませんか。 大石(おおいし) 〜長井市〜
そんな大石地区にひっそりとたたずんでいる旧洞雲寺(とううんじ)の裏山に「大石」があります。由来は定かではありませんが、地面から露出している高さは向かって左側が3.3m、右側が6.5mと、大人の身長の倍以上の高さです。人が並び立つとその大きさを改めて感じることができ、裏側に設置された鉄製のはしごを登って大石の上で記念撮影をすることもできます。 現地の看板には、右側に傾斜している石の形からある動物を連想させると紹介されていますが、皆さんはおわかりになったでしょうか。その動物が何なのか気になる方は、現地の看板で確かめてください。 この大石は、1973(昭和48)年5月に長井市の文化財に指定されています。また、旧洞雲寺入り口に設置されている山門も同年に指定を受けており、巨石だけでなく、山門にも目を配ってみてはいかがでしょうか。
さらに、旧洞雲寺の裏手を走る林道沿い付近には、岩の下半分が大きくくびれた「博打石(ばくちいし)」と呼ばれる石もあります。その昔、石の下で隠れて博打をしたことからその名がついたといういわれがあるそうです。目印は林道沿いから見える半円状の分収造営林記念碑で、そこから藪をかき分けるとすぐのところにあります。 このほかにも「たぬき石」、「じじ石」、「ばば石」、「へび石」があります。以前は石めぐりコースとして、石の名前を記した看板が設置されていたそうですが、現在は整備されておらず、「じじ石」「ばば石」「たぬき石」にたどりつくのは難しいそうです。 自然豊かな場所なので、行ってみる場合は、くれぐれもマナーと野生動物に注意しましょう。 (伊佐沢地区文化振興会、伊佐沢地区公民館発行の郷土史「うるわし」を参考にしました) 鬼面石(きめんせき) 〜南陽市〜
鬼面石は、その名前から何か伝説がありそうだと思いますよね。そこで調べてみると、南陽市史の口頭伝承の章に興味深い話が載っていました。 南陽市史によると、その昔、ここには大蛇が住んでおり、金山地区側からの山の登り口は「竜の口」とも呼ばれていたそうです。隠れ座頭という仙人が住んでいて、旧盆には向かいの山まで綱を張って、忍びの道具や衣装を虫干ししていたそうで、その時期には山に入ってはいけなかったそうです。 このほかにも、鬼面石が向かいの山にある石とにらめっこをしたという話も伝わっているそうです。鬼面石はその勝負に負けてしまい、悔しさのあまり流した涙でできたのが鬼面石の下方にある竜ノ口上堤(たつのくちうえつつみ)だといいます。 金山地区の地域活性化に取り組んでいる金山むらづくり委員会が、鬼面石周辺の環境整備を行っており、地元の財産として大切に守っています。 鬼面石を訪ねる際は伝説の主がいないか辺りを見回してください。ひょっこり石の脇から顔をのぞかせているかもしれませんよ。 じじばば石(じじばばいし) 〜高畠町〜
そもそも、じじばば石がいつ、誰が、何のために置いたのか詳しいことは定かではありませんが、一戸芳樹(いちのへよしき)宮司からこんな伝説をお聞きしました。 昔、おじいさんとおばあさんが八幡様に願をかけるため、一昼夜で鳥居を建立しようとしました。しかし、夜が開け、辺りから鳥のさえずりが聞こえてくると、おじいさんとおばあさんは一昼夜での鳥居の建立を断念し、鳥居を置いていったそうです。それがじじ石、ばば石だそうです。 何やらいわくありげなじじばば石ですが、昔は人々の願掛けの対象となっていたこの石も、今では人が腰をかけているのだと、一戸宮司は笑います。 長さ約5m、直径90cm前後のものが2本。表面には無数の気泡のような跡があります。東側の石には穴が開いてますが、運搬するために開けられた穴だったのでしょうか。 明治初期に当時の宮司が描いたという山形県東置賜郡高畠町大字安久津八幡神社境内古絵図には、じじばば石がしっかりと記されており、少なくとも100年以上経過していることが分かります。見れば見るほど不思議な石ですね。 びっき(蛙)石 〜米沢市〜
また、万世小学校が現在の場所に移転する前の1985(昭和60)年ごろまでは、びっき石スキー場があり、児童たちがスキー授業をしていたときもあったそうで、びっき石の名前はいたるところに浸透していました。 万世コミュニティセンターが設置した看板には、高さ2間半(約4.5m)、石質は流紋岩と記されています。びっき石を麓から見るとカエルが飛び跳ねようとしている姿に見えるのだとか。近くで見ると、カエルのように見えるような、見えないような……。豊かなイマジネーションが必要のようです。 岩肌には、いくつかくぼみができており、足をかけて上に登ることもできるそうですが、山際なので足元にはくれぐれもご注意ください。 烏帽子石(えぼしいし) 〜南陽市〜
烏帽子山八幡宮(えぼしやまはちまんぐう)=南陽市赤湯=は、継ぎ目無しの石鳥居が有名ですが、石鳥居のほかにも巨石があります。それは境内南東側に鎮座している「烏帽子石」です。南陽市の文化財にも指定されており、同神社や烏帽子山公園の由来にもなったとされる由緒ある巨石です。 南陽市教育委員会が設置した看板には、石の高さは約3m、重さは数トンの巨大な石で、側面には板碑(いたび)状のものが7基彫られていると記されています。文字は風化し、今では読み取ることができませんが、誰がどのようにしてこの場所に運び込んだのでしょうか。参集殿側から見ると、神事に着用するあの烏帽子の形に見えるのだとか。ぜひご自分の目で確かめてみてください。 ちなみに、継ぎ目のない石鳥居も南陽市指定の文化財になっていて、新山宏三(しんやまこうぞう)宮司によると、約300kgもある大注連縄の架け替え神事が毎年4月18日に行われているそうです。 烏帽子山八幡宮には千本桜で親しまれている烏帽子山公園があり、毎年大勢の観光客でにぎわいます。烏帽子石を見てから、満開のサクラを愛でるのもいいですね。 丈六地蔵尊(じょうろくじぞうそん) 〜白鷹町〜
白鷹町荒砥にある稲荷山正念寺(しょうねんじ)の境内西側にお堂があり、そこに丈六地蔵が祀られています。台座の高さが2.1m、頭部から台座までの高さが2.7m。台座を含めた頭部までの高さを尺貫法で表すと、1丈6尺あることから丈六地蔵と呼ばれるようになったそうです。 白鷹町には丈六地蔵の民話が伝えられており、その座った姿の由来を正念寺の鈴木浩薫住職に伺いました。 大水から村を守ろうとした男が石になってしまったという話から始まります。その石でお地蔵様を彫り、始めは立っているお地蔵様の姿でしたが、足の立たない子どものためにお地蔵様が自分の足を折り、子どもを歩けるようにしてあげるという話です。 そのお話から子どもの足が立ち、丈夫に育つようにと、子育てや交通安全祈願などで地域の住民からの信仰を集めているそうです。 ☆「巨木編」はこちら☆ ○掲載日 平成23年3月 ○執筆者 大竹茂美(置賜文化フォーラム事務局) 鈴木真紀(置賜文化フォーラム事務局) ○取材協力 一戸芳樹さん(安久津八幡神社宮司) 新山宏三さん(烏帽子山八幡宮宮司) 盒桐唇譴気鵝米醉杙垓盪蓋民館館長) 鈴木浩薫さん(稲荷山正念寺住職) 伊佐沢地区公民館 万世コミュニティセンター 南陽市教育委員会 印刷用PDFはこちら |
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