置賜には、すばらしい伝統工芸がたくさん残っています。その中で木を使った置賜の工芸品をご紹介します。木からできた工芸品に触れるとなぜかぬくもりが感じられるのは、風雪を耐え生き抜いた力強い木の命が吹き込まれているからでしょうか。 置賜の木工芸品は、多くが身近な木々の材料を使い、雪に閉ざされた冬の仕事としてはじまったものが多いようです。地元で庶民が手作りしていた工芸品が何かのきっかけでブームになり有名になったり、技がすぐれていてあっという間に日本一になったり、日常品として庶民に愛され続けたりといろいろな歴史があります。どの品もすぐれた技によって、すばらしい工芸品となり置賜から発信されているのです。 今回ご紹介するのは4つの宝です。 1) ■笹野一刀彫■ 2) ■米沢箪笥■ 3) ■競技用けん玉■ 4) ■小国つる細工■
■ 笹野一刀彫 ■
笹野一刀彫館 高橋信行氏 起源 米沢市笹野町に、ウコギ科のコシアブラの丸材を用い、サル切りと称する独特な刃物で大胆に削る「笹野一刀彫」と呼ばれている伝統工芸があります。上杉鷹山公も冬の副業として奨励したものです。「お鷹ぽっぽ」が有名となっていますが、もともとは、今から1200年前、坂上(さかのうえの)田村(たむら)麿(ま)呂(ろ)(平安時代の武官)が東を征する際の、戦勝祈願として笹野観音に削り花を捧げたことが起源と言われているそうです。これが元となり、後に、
発展過程 笹野一刀彫の発展過程は、3期に分けて考えられるようです。起源から明治までの特に信仰対象としての時期では、削り花を中心として、家の魔除けとしての鷹と大黒様が主に作られました。
大正時代から昭和の戦後過ぎまでの玩具としての時期では、子どもが丈夫に育つようにと、形にとらわれずいろいろなものが作られました。 そして、昭和30年代に入り民芸品ブームがおこり、笹野一刀彫も民芸品としての時期に入り「お鷹ぽっぽ」などの原型が出来上がります。削り方や大きさ、絵付けなどの規格がまとめられ、それを管理する笹野一刀彫の組合がつくられ、「笹野一刀彫」の名称も昭和38年に組合で商標登録しました。
笹野への回帰 大正時代から昭和初期にかけて笹野観音十七堂祭(例年1月開催)の笹野門前町では、笹野一刀彫の削り花を売る店が立ち並び賑わいがあったそうです。
■笹野一刀彫の製造販売に関してのお問合せ先■ ◎笹野民芸館 山形県米沢市笹野本町5208-2 0238-38-4288 ◎戸田 寒風 山形県米沢市笹野本町6798 0238-38-3200 ◎高橋 信行 山形県米沢市諸仏町4918 0238-38-3318 ◎情野 辰男 山形県米沢市大字笹野4776 0238-38-3566 (敬称略) この「宝」記事のTopへもどる ■ 米沢箪笥 ■
有限会社永井家具店 永井伸治郎氏 仙台箪笥、岩谷堂箪笥、府中桐箪笥とならぶ日本有数の箪笥である米沢箪笥は、米沢地域で古くから造られてきた伝統的な流れを汲む工芸品です。欅(けやき)、栗、桐(きり)、杉などの木地に漆塗りなどを施して、手打ちの鉄金具を付け、機能性と美を合わせ持った箪笥です。 製造 永井家具店で製造される米沢箪笥は、見た目の美しさだけではなく、箪笥としての機能性を追求して、材質にはとことんこだわって製造されています。良い箪笥を造るための原木は、永井家具の代表であり伸治郎さんのお父様で、この道60年の永井信治さんが非常に厳しい目を持って選びます。
発祥 米沢箪笥の発祥は、伊達政宗公の時代にさかのぼるようです。伊達政宗が仙台へ移った際に、米沢箪笥職人も政宗公についてゆき、仙台箪笥の基になったという説があり、仙台箪笥の成り立ちへ大きく影響を与えたと言われているのです。江戸時代初期頃から大工さんの冬仕事として作られ始め、江戸末期から明治、大正にかけて盛んになっていったそうですが、職人単位の製造にとどまり大きく産業化することは無く、戦後の生活様式の洋風化により、民芸箪笥はその姿を潜めてしまったようです。
これから この米沢箪笥を製造しているのは今では永井家具さん1軒だけです。時代の変化とともに生活様式が変わり、伝統の米沢箪笥を近県だけで販売することへの限界を感じておられます。今後全国的な販路を模索し、インターネットを使った販売への取組を検討しているそうです。伝統を守るためには、古き良き技と最新の販路拡大手法のコラボレーションが必要のようです。 ■お問合せ■ 有限会社 永井家具店 〒992-0052 山形県米沢市丸ノ内2-2-47 電話 0238-24-1777 この「宝」記事のTopへもどる ■ 競技用けん玉 ■
有限会社山形工房 代表取締役社長 梅津雄治氏 子どもの頃に一度は遊んだことがある「けん玉」。日本のどこにいっても見つけることができる玩具で、日本人に親しまれてきたのではないでしょうか。どこでも遊べる手軽さと木のぬくもりが愛され続けている所以なのでしょう。日本国内のけん玉競技人口は約300万人と言われているようです。最近では、国境を越えて海外でもけん玉大会が開催されるほどになっているそうで、世界的にも注目が集まっているのです。
日本一 山形工房さんは、1973年の創業で木地玩具や民芸品製造からスタートし、1977年には、競技用けん玉の製造を開始しています。翌年にはけん玉協会指定工場になっています。1990年には、競技用けん玉生産日本一です。その後も、たゆまない努力により新しいけん玉を次々と発表されているのです。
山形工房さんで製造された競技用けん玉は、大手スーパー百貨店などのおもちゃ売り場やスポーツ店で販売されているそうです。必ず日本けん玉協会認定のマークが入っているかどうかをご確認下さい。 宝 この約40年の間に競技用けん玉づくり日本一の地位を築いてこられた山形工房さんのものづくりに関する技術の高さは置賜の宝として残したいものです。 ■お問合せ■ 有限会社 山形工房 http://kendama.co.jp 〒993-0061 山形県長井市寺泉6493-2 電話 0238-84-6062 FAX 0238-84-6061 メール info@kendama.co.jp この「宝」記事のTopへもどる ■ 小国つる細工 ■
小国町在住 高橋初太郎氏 つる細工とは 野山で採取するマタタビ、あけび、ぶどうの皮、くるみの皮などを原料とし、木を割り込み細いつるにしたり、ふしや枝を取って細いつるをそのまま編み込んだりしてざるやかごなどの工芸品を作る「つる細工」。キノコ狩りや栗拾いなど生活の中で、かごは必需品だったのです。現代のようにプラスチックのかごが店ですぐに手に入る時代ではなかった昔は、生活に必要なものは、身近な材料で自分たちの手で作っていたのです。秋、木の葉が落ちた頃に材料となる木を野山から採取してきて、雪深い冬に囲炉裏を囲みながら、つる細工加工の手仕事をするのです。
保存活動 昔は、だれもが作ったつる細工も、時代の変化とともに作り手が減少しました。しかし、高橋さんが代表を務める「小国町つる工芸の会」の方々をはじめ、地元で昔からつる細工を作っておられる方々は、つる細工の伝統を守り続けています。伝統のつる細工の技を伝承しようと小国町では、保存に力を入れています。高橋さんをはじめ、地元の方々を講師として毎年つる細工の講習会を実施しています。
■「第31回つる細工講習会」の開催日: 平成25年1月16日(水)〜18日(金) 詳しくは小国町観光協会さんへお問合せ下さい。 ■お問合せ■ 小国町観光協会 http://ogunikankou.jp 「おぐにのつる細工」 http://www.ogunikankou.jp/tsuru/top.html 〒999-1363 山形県西置賜郡小国町大字小国小坂町2-70 電話0238-62-2416 FAX 0238-62-5464 メール info@ogunikankou.jp この「宝」記事のTopへもどる ■取材を終えて■ 置賜には、今回紹介したもの以外にも、すばらしい伝統工芸が多数残されています。ただ時代や生活様式の変化とともに伝統工芸品の需要が減少しているものもあります。従来のやり方だけでは職人が生活の糧を得られるだけの収入がなく、作り方を止めてしまったり、職人が高齢化して作ることが出来なくなったりしているケースがあります。たった一人の職人が伝統工芸を守っていても、病気などで作ることができなくなり、途絶えてしまうこともあるのです。すでに保存会により活動が進められ、伝統工芸を残していく取組みがなされているものや、一旦途絶えたものを職人技により復活させているものもあります。伝統工芸をとりまくいろいろな問題はありつつも、置賜に残されているすばらしい伝統工芸を守るために、一生懸命に活動されている御一人おひとりこそが置賜の宝だと感じました。これからの発展を祈り、期待したいと思います。 〇掲載日 平成24年12月 印刷用PDFは こちら |
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