59置賜の木工芸



 置賜には、すばらしい伝統工芸がたくさん残っています。その中で木を使った置賜の工芸品をご紹介します。木からできた工芸品に触れるとなぜかぬくもりが感じられるのは、風雪を耐え生き抜いた力強い木の命が吹き込まれているからでしょうか。
 置賜の木工芸品は、多くが身近な木々の材料を使い、雪に閉ざされた冬の仕事としてはじまったものが多いようです。地元で庶民が手作りしていた工芸品が何かのきっかけでブームになり有名になったり、技がすぐれていてあっという間に日本一になったり、日常品として庶民に愛され続けたりといろいろな歴史があります。どの品もすぐれた技によって、すばらしい工芸品となり置賜から発信されているのです。

 今回ご紹介するのは4つの宝です。
 1)
■笹野一刀彫■

 2) ■米沢箪笥■

 3) ■競技用けん玉■

 4) ■小国つる細工■

置賜地域
 どれもすぐれた職人が、こだわりの技で作っています。職人の目の鋭さは妥協しないモノづくりの心が感じられ、年齢に関係なく美しく輝いています。


笹野一刀彫


お鷹ぽっぽ
◎お話を伺いした方
笹野一刀彫館 高橋信行氏


 起源 米沢市笹野町に、ウコギ科のコシアブラの丸材を用い、サル切りと称する独特な刃物で大胆に削る「笹野一刀彫」と呼ばれている伝統工芸があります。上杉鷹山公も冬の副業として奨励したものです。「お鷹ぽっぽ」が有名となっていますが、もともとは、今から1200年前、坂上(さかのうえの)田村(たむら)麿(ま)呂(ろ)(平安時代の武官)が東を征する際の、戦勝祈願として笹野観音に削り花を捧げたことが起源と言われているそうです。これが元となり、後に、

サル切りと削り花
冬でも葉の落ちない「つげの木」の小枝に木の花を付け、神仏に献花し、正月を迎え、3月彼岸にその花を墓所にお供えするところから彼岸花とも呼ばれた木の献花の習慣は、庶民の間に定着し、笹野では冬にかけて木で花を作り、売り歩いたのだそうです。この信仰の慣習は受け継がれ、今でも笹野観音の年越し祭りには、神棚に飾る「笹野彫り花」を求める人があるため、地元の人は年末にかけての冬仕事として削り花をつくるのです。

 発展過程 笹野一刀彫の発展過程は、3期に分けて考えられるようです。起源から明治までの特に信仰対象としての時期では、削り花を中心として、家の魔除けとしての鷹と大黒様が主に作られました。

大黒様
目が鋭い鷹は、家に病を入れないもの、天に羽ばたくもの、大黒様は福徳円満の祈願をこめたものとして作られたそうです。
 大正時代から昭和の戦後過ぎまでの玩具としての時期では、子どもが丈夫に育つようにと、形にとらわれずいろいろなものが作られました。
 そして、昭和30年代に入り民芸品ブームがおこり、笹野一刀彫も民芸品としての時期に入り「お鷹ぽっぽ」などの原型が出来上がります。削り方や大きさ、絵付けなどの規格がまとめられ、それを管理する笹野一刀彫の組合がつくられ、「笹野一刀彫」の名称も昭和38年に組合で商標登録しました。

サル切りを使う高橋信行さん
 その後、笹野一刀彫は、昭和44年酉(とり)年に大きな転機を迎かえます。酉年にあわせて、笹野一刀彫を大きくアピールするとともに、全国販売を開始したのです。昭和50年代には笹野彫協同組合の中に販売部会を設立し、一層販売面に注力することによって、お鷹ぽっぽなどの売上げが拡大していきます。全国的に有名になった笹野一刀彫は、その後、ローマ法王への献納、U.S.Aディズニーランドでの実演販売など海外でも知られるようになりました。この酉年の転機から、職人も100人以上となり最盛期を迎えたのです。

   笹野への回帰 大正時代から昭和初期にかけて笹野観音十七堂祭(例年1月開催)の笹野門前町では、笹野一刀彫の削り花を売る店が立ち並び賑わいがあったそうです。

笹野観音
しかし、電車もバスも無い時代、歩いて雪深い笹野町へ行くことは大変なことでした。ある職人が笹野町から出て米沢市街に近い現在の南米沢駅周辺の「火之目観音」に出店したところ大いに賑わったことから、次々と笹野の里から職人が出て火之目観音通りに店が並ぶようになり、笹野の里は閑散となってしまったのです。昭和50年代後半、笹野の地元有志によって伝統を守るため保存会が発足します。その中では、もともと笹野一刀彫が生まれた笹野観音の信仰を忘れてならないという意見が強く、昔と違い交通の便もよくなったので、火之目観音から笹野へ戻るように呼びかけの活動をしたのです。そうした活動により多くの職人は笹野に戻ったそうです。こうして今では、発祥の地笹野の観音様の元で伝統工芸は守られているのです。

■笹野一刀彫の製造販売に関してのお問合せ先■

◎笹野民芸館    山形県米沢市笹野本町5208-2   0238-38-4288

◎戸田 寒風     山形県米沢市笹野本町6798    0238-38-3200

◎高橋 信行      山形県米沢市諸仏町4918   0238-38-3318

◎情野 辰男      山形県米沢市大字笹野4776    0238-38-3566      (敬称略)

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米沢箪笥


米沢箪笥
◎お話をお伺いした方
有限会社永井家具店 永井伸治郎氏

 仙台箪笥、岩谷堂箪笥、府中桐箪笥とならぶ日本有数の箪笥である米沢箪笥は、米沢地域で古くから造られてきた伝統的な流れを汲む工芸品です。欅(けやき)、栗、桐(きり)、杉などの木地に漆塗りなどを施して、手打ちの鉄金具を付け、機能性と美を合わせ持った箪笥です。

 製造 永井家具店で製造される米沢箪笥は、見た目の美しさだけではなく、箪笥としての機能性を追求して、材質にはとことんこだわって製造されています。良い箪笥を造るための原木は、永井家具の代表であり伸治郎さんのお父様で、この道60年の永井信治さんが非常に厳しい目を持って選びます。

永井信治さん
この難しい木の選定は長年の経験が生み出すプロの技で、箪笥の明暗を分けるものとなります。箪笥に使う欅は樹齢四百年以上の山欅で、風雪に耐えて生き残った木だけを使います。木目が細かく良い材料になるのだそうです。良い材料を選んだ後も、箪笥にする材木は、長い年月をかけて雨風にさらすことで、ゆっくりと木のアクを抜いてゆきます。木地加工の後、漆を塗って美しい光沢をだしますが、この過程で終了しても箪笥としての価値はかなり高価なものです。最後に金具付ですが、箪笥につけられる金具は米沢で唯一の鍛冶屋職人が手作りで丁寧に製造したものを箪笥に付けるのです。気の遠くなるような時間をかけ、木地師と塗り師と金具師の3者のバランスにより美しい米沢箪笥が作られるのです。

米沢箪笥づくり作業

 発祥 米沢箪笥の発祥は、伊達政宗公の時代にさかのぼるようです。伊達政宗が仙台へ移った際に、米沢箪笥職人も政宗公についてゆき、仙台箪笥の基になったという説があり、仙台箪笥の成り立ちへ大きく影響を与えたと言われているのです。江戸時代初期頃から大工さんの冬仕事として作られ始め、江戸末期から明治、大正にかけて盛んになっていったそうですが、職人単位の製造にとどまり大きく産業化することは無く、戦後の生活様式の洋風化により、民芸箪笥はその姿を潜めてしまったようです。


大坂万博に飾られた米沢車箪笥の同型
 大坂万博 米沢箪笥の知名度が上がるきっかけとなったのが、1970年開催の大阪万博でした。民芸家具館の入り口正面に米沢箪笥の車箪笥である米沢唐戸(からと)が飾られ、美しい箪笥の造形が注目を浴びたのです。以来米沢を代表する伝統工芸として米沢箪笥が認知されるようになったのだそうです。永井家具さんは、平成18年に米沢市の推薦で、伝統工芸技能功労者賞を受賞しました。

 これから この米沢箪笥を製造しているのは今では永井家具さん1軒だけです。時代の変化とともに生活様式が変わり、伝統の米沢箪笥を近県だけで販売することへの限界を感じておられます。今後全国的な販路を模索し、インターネットを使った販売への取組を検討しているそうです。伝統を守るためには、古き良き技と最新の販路拡大手法のコラボレーションが必要のようです。

■お問合せ■

有限会社 永井家具店

〒992-0052 山形県米沢市丸ノ内2-2-47

電話 0238-24-1777

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競技用けん玉


山形工房さんの
競技用けん玉
◎お話を伺いした方
有限会社山形工房 代表取締役社長 梅津雄治氏


 子どもの頃に一度は遊んだことがある「けん玉」。日本のどこにいっても見つけることができる玩具で、日本人に親しまれてきたのではないでしょうか。どこでも遊べる手軽さと木のぬくもりが愛され続けている所以なのでしょう。日本国内のけん玉競技人口は約300万人と言われているようです。最近では、国境を越えて海外でもけん玉大会が開催されるほどになっているそうで、世界的にも注目が集まっているのです。


觧碍噌房 梅津雄治社長
 競技用けん玉 置賜の長井市に日本けん玉協会認定の競技用けん玉日本一の製造工場があるのです。競技用けん玉は民芸品のけん玉とは異なり、日本けん玉協会の厳格な品質検査等を通過し、競技仕様として認められたけん玉です。形や重さ精度などが全く違っていて、競技用として多くの技が出来るように精度の高いものに仕上げているそうです。

厳格で高い基準の規格が定められているので、決められた工場でしかつくることができません。山形工房さんは日本けん玉協会の公認けん玉指定工場に選ばれています。

 日本一 山形工房さんは、1973年の創業で木地玩具や民芸品製造からスタートし、1977年には、競技用けん玉の製造を開始しています。翌年にはけん玉協会指定工場になっています。1990年には、競技用けん玉生産日本一です。その後も、たゆまない努力により新しいけん玉を次々と発表されているのです。


競技用けん玉「大空」シリーズ
 技術 30,000種類も技があるといわれている奥深いけん玉競技には、高品質なけん玉が不可欠です。山形工房さんのこだわりは、材料の選定とけん玉の品質・精度の追求です。けん玉の材料となる木は、「ブナ」「ケヤキ」「桜」「板屋楓」「エンジュ」などが使われます。材料は、職人の長年の経験とデジタル化した数値により選定をしているそうです。一人前のけん玉職人となるには10年の修行を要するそうで、山形工房さんでは、

競技用けん玉製造日本一認定
記念の盾
ベテランの職人が精巧で高品質なけん玉を製造しているのです。ユーザーからの支持は絶大で驚異的なリピート率を得ているのも納得できます。
 山形工房さんで製造された競技用けん玉は、大手スーパー百貨店などのおもちゃ売り場やスポーツ店で販売されているそうです。必ず日本けん玉協会認定のマークが入っているかどうかをご確認下さい。

  この約40年の間に競技用けん玉づくり日本一の地位を築いてこられた山形工房さんのものづくりに関する技術の高さは置賜の宝として残したいものです。

■お問合せ■

有限会社 山形工房    http://kendama.co.jp

〒993-0061 山形県長井市寺泉6493-2

電話 0238-84-6062   FAX 0238-84-6061

メール info@kendama.co.jp

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小国つる細工


高橋初太郎さんが製作した“マタタビ細工各種
◎お話をお伺いした方
小国町在住 高橋初太郎氏


 つる細工とは 野山で採取するマタタビ、あけび、ぶどうの皮、くるみの皮などを原料とし、木を割り込み細いつるにしたり、ふしや枝を取って細いつるをそのまま編み込んだりしてざるやかごなどの工芸品を作る「つる細工」。キノコ狩りや栗拾いなど生活の中で、かごは必需品だったのです。現代のようにプラスチックのかごが店ですぐに手に入る時代ではなかった昔は、生活に必要なものは、身近な材料で自分たちの手で作っていたのです。秋、木の葉が落ちた頃に材料となる木を野山から採取してきて、雪深い冬に囲炉裏を囲みながら、つる細工加工の手仕事をするのです。

木を割って
つるにする道具
100年前のもの


高橋初太郎さん
 職人技 今でもつる細工を作り続けている高橋初太郎さんは現在91歳ですが、毎日元気につる細工の作業をしています。高橋さんの手作業はとても91歳とは思えない器用さと手早さです。マタタビの細い木の皮をあっという間にむいて、4つに分断して細いつるにしてしまいます。細い木を4つに分断する作業は素人がすると均等に分断されず、太さがまちまちのつるになってしまいます。高橋さんの力加減は絶妙でキレイに同じ太さのつるとなります。みごとな作業です。編み方はいろいろな手法があるそうで、高橋さんは独学で本を読みご自分で学んで新しい編み方にチャレンジしているの

マタタビ細工の原料(木を割り高橋さんが作った物)
です。


どんぐり帽子の細工品

 手仕事 高橋さんのつる細工の側で奥様は古い布を使ってパッチワークの小物造りをしておられました。どんぐりの帽子に布でお姫様をかたどったものを入れた細工品は、とても細かい作業ですが、奥様は沢山つくり、来られたお客様にプレゼントをしているのです。冬の間囲炉裏を囲んで、家族それぞれが手仕事をしている風景は、昔は普通のことだったのでしょう。

 保存活動 昔は、だれもが作ったつる細工も、時代の変化とともに作り手が減少しました。しかし、高橋さんが代表を務める「小国町つる工芸の会」の方々をはじめ、地元で昔からつる細工を作っておられる方々は、つる細工の伝統を守り続けています。伝統のつる細工の技を伝承しようと小国町では、保存に力を入れています。高橋さんをはじめ、地元の方々を講師として毎年つる細工の講習会を実施しています。

「つる細工の会」への表彰状
今年30回目(30年目)を迎えたこの会は、毎年50人前後の人々が集まり2泊3日でつる細工造りを学びます。地元の初心者の方も参加しますが、遠く岐阜県や岡山県から参加する方、毎年楽しみに来る方もいます。参加した方の中には、2泊3日の指導で、かごやかばん等を仕上げて持ち帰る方もいらっしゃいます。同じ編み方をしていても微妙な力加減で形が変わるので、2つと無いオリジナリティあふれる作品が仕上がるようです。この催しは、平成25年も1月に開催されるそうです。

■「第31回つる細工講習会」の開催日:
平成25年1月16日(水)〜18日(金)

詳しくは小国町観光協会さんへお問合せ下さい。

■お問合せ■

小国町観光協会     http://ogunikankou.jp
「おぐにのつる細工」  http://www.ogunikankou.jp/tsuru/top.html

〒999-1363 山形県西置賜郡小国町大字小国小坂町2-70

電話0238-62-2416    FAX 0238-62-5464

メール info@ogunikankou.jp 

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■取材を終えて■

 置賜には、今回紹介したもの以外にも、すばらしい伝統工芸が多数残されています。ただ時代や生活様式の変化とともに伝統工芸品の需要が減少しているものもあります。従来のやり方だけでは職人が生活の糧を得られるだけの収入がなく、作り方を止めてしまったり、職人が高齢化して作ることが出来なくなったりしているケースがあります。たった一人の職人が伝統工芸を守っていても、病気などで作ることができなくなり、途絶えてしまうこともあるのです。すでに保存会により活動が進められ、伝統工芸を残していく取組みがなされているものや、一旦途絶えたものを職人技により復活させているものもあります。伝統工芸をとりまくいろいろな問題はありつつも、置賜に残されているすばらしい伝統工芸を守るために、一生懸命に活動されている御一人おひとりこそが置賜の宝だと感じました。これからの発展を祈り、期待したいと思います。




〇掲載日 平成24年12月

       ○資料写真提供  笹野一刀彫館 高橋信行氏

         有限会社永井家具店 永井伸治郎氏

         有限会社山形工房 代表取締役社長 梅津雄治氏

         小国町在住 高橋初太郎氏

         小国町観光協会

  ○執筆編集  東野真由美(置賜文化フォーラム)



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