じいちゃんの昔語り〜米沢市田沢の木流し〜





 かつて、米沢市田沢地区で行われていたという木流し。そこで活躍していた“木流し衆”と呼ばれていた人々は、山で木を伐採し、運ばれた木材は薪(たきぎ)として使われ、木流しは田沢地区の一大産業だったそうです。
 しかし、時代とともに生活様式や交通形態が変化し、河川を利用した運搬も陸路へと移り、昭和初期に木流しはその役目を終えました。今では木流しを知る人も少なくなり、市民の生活を支えた仕事が忘れ去られつつあります。
 そこで、田沢地区で木流しをしていた星野貞一(ていいち)さん(90・米沢市)と伊藤保作(ほさく)さん(89・米沢市)のお二人に、若かりしころ体験した木流しの思い出を語っていただきました。


マドノコを手に昔を懐かしむ星野さん

星野さん 木流しってのは、川を使って「ばいだ」を町まで流すごどを言うんだ。田沢地区だげでなぐ、簗沢(やなざわ)地区や綱木(つなぎ)地区などでもやってだんだ。
 車が普及すっと、田沢では八谷(やたに)までばいだ流して、そっからトラックで運ぶようになってよ。昭和30年ごろまで続いだっけがなぁ。田沢が一番最後まで木流しやってだんだ。

 木流しには、山から小さな沢まで流す春木流しってのど、米沢市内の木場町(きばまち)まで流す秋木流しってのがあんだ。
 春山に入って木切んなんねんだげど、雪がやっこいとぬがっからよ、雪がしまって硬ぐなる2月ごろに山に入んなだ。ブナやナラの木切り出して、そりに乗せで運ぶのよ。
 雪解け水で水流が多い時期に、田沢地区の山の中にある小さな沢がら麓のみんつぁばら(水沢原)まで流してやって、ばいだを川沿い近くの留(と)め場に集めでおくんだ。9月の米の収穫時期近くになっど、その留め場から町中の木場町までばいだ流す秋の木流しが始まんだ。

伊藤さん 木流しは農業の閑散期にやってだんだげんど、秋の木流しは稲刈り作業ど重なんのよ。ほだがら、女性が稲刈りしてっどごが多がったんだ。そんでも、はせ掛けは女性じゃあぶねくてでぎねがら男がするもんだ。今でも時々はせ掛けしてっどご見っかもしんにぇげんども、昔のはせ掛けは、はしごさ登ってしんなんねぇぐらい高がったんだ。


木流しの思い出を語る伊藤さん

星野さん 俺が木流しを始めたのは14、5歳ごろだったがなぁ。家の近くに河原があったがら、子どものどぎがら木流しにあこがれでだんだ。ほだがら、お頭に頼み込んで、学校を休んで木流しに参加したごどもあった。
 体格がいがったからがどうがはわがんねげんど、最初から川さ入って、胸まで水に浸かって、どんどん木を流していったもんだ。
 川の中は浅いどころもあれば深いどころもあんべ。川底の石もつるつるだがら、滑んのよ。たかじょうだど滑っがら、そのうえにわらじをはいて滑んねぐなるようにしたんだ。
 俺は川こぎにゃあがってんしねがら、木流しの先輩が後についで来いって言われで、おにへいたけでだもんだ。そして俺がかぶだれくうど、周りの連中は喜んで見んのよ。そんな日は早く家さ帰って、風邪なんかふっとばしたもんだ。

 川さ入って作業すっから、けがする人もいだったんだ。俺はおっきなけがしながったけんど、足がら血流してる人もいだったなぁ。げんど、本人はぜんぜん気づいていなくてよ。何でだがわがっか。川さ入ってから、ちみだくて、痛いのに気づがねんだ。

伊藤さん 昔は、15歳になっど男は一人前だって言われだもんだがら、俺も15歳になっど親父に引っ張られで木流し始めだんだ。
 まずは、おかもちっていう弁当運びから始まったっけ。お頭と年寄りに案内されだどごまで弁当たがって行って、火焚いで木流しの作業終わんの待ってんのよ。わっぱ弁当6〜7人分のほかに、蓑やみなわしょって往復して、大変だったっけなぁ。弁当くずんにぇように縄で縛って、7人分しょっていげるようになったら一人前だって周りから言われだもんだ。

 弁当のふたを茶碗代わりにして汁ついでもらって、「まだ食うのがぁ」って言われるぐらい、みんな食べんのよ。弁当さ名前書いでるわけじゃねえがら、間違ってほかの人の弁当食べでだ人もいだっけな。

 そういえば、ばんだい餅って知ってだがぁ。残ったご飯を切り株の上で、根曲がりした枝使って、餅みだくつぶして、焼いだり味噌汁なんかにいれだりして食ったもんだ。昔は山仕事で食っでだけんど、今だとうまぐなくて食べらんにぇごでなぁ。
 


木流しを再現した模型=田沢
コミュニティセンター資料から


伊藤さん 木揚げの作業には、20人ぐらいいだったがなぁ。そのうち、5、6人はやろっこだ。ばいだがうまく川を流れていぐよう、1週間ほどかけて、下流から上流に向かって川を見で歩いでいぐんだ。
 木場川で木揚げすっどき、川上から番傘使ってばいだ流す合図を送るんだけど、伝言ゲームのように番傘で合図を送っていぐがら、途中で合図を間違うどきもあんのよ。
 あるどき、「止め」の合図が出でんのに、間違って「抜け」の合図が伝わってぐがら、ばいだが次々流れできて、木揚げの作業がいづまでも続ぐのよ。川がらあがって体あっためる暇もないんだ。そういうどきは、「合図が間違っているってゆってこい」って、やろっこは走らされだもんだ。あんどきは大変だったなぁ。

2人 褌一丁にちゃんちゃんこ着た男たちが木場川に入って木を引き揚げでっと、周りの道路は黒山の人だかり。女性の見物客、とくに女学生が多がったんじゃないか。まるでまつりのようなにぎわいだった。
 夜になっど、木流ししている連中は居酒屋に集まって、毎晩酒飲んでだんだ。寒い中での大変な作業だがら息抜きも必要だったんだべなぁ。

星野さん 俺が木流ししてっどきの楽しみは映画見さ行ぐごどだった。あのころ、米沢には映画館が3館ぐらいあったべ。わらわら木流しおやしてよ、「愛染かつら」見に行ったもんだなぁ。


ばいだに彫られていた家ごとの版
=田沢コミュニティセンター資料から
伊藤さん ばいだの長さに工夫があるの知ってっか。ほかの地区のばいだと見分けがつぐように、地域ごとにばいだの長さが違うんだ。田沢では2尺5寸っで決まってだんだ。ばいだには家ごとの版が斧で彫ってあっから、誰のばいだがすぐわがんなだ。

伊藤さん やろっこにはノコギリを研ぐ仕事もあったっけなぁ。昼休みに研いだりしたもんだげんど、木がよぐ切れるようにでぎねど、「こんな灰ならしみだいなノコギリで木は切れねごで」と怒られたもんだ。経験を積んでいぐど、徐々に上手ぐなっけんどもな。
 山仕事の交流で、マドノコを見せてもらったどぎは、ナラやブナの木など大木を切るのにちょうどよく、節でもなんでも同じように切るごどができんなだ。当時は何千円もして高くて、あこがれのノコギリだったごで。

星野さん 田沢地区に住んでだ男のたいがいは木流しやってだもんだ。山に入って木を切ったり、川に入ってばいだを引き揚げだり、今じゃでぎねような大変な作業も多かったげんど、木流しは田沢地区を支えたおっきな仕事。振り返ってみっと懐かしいなぁ。



  方言・用語解説(文中の使用順)


ばいだ  …… 燃料となる薪
きんなんね …… 切らなければならない
やっこい …… 柔らかい
ぬがる  …… 雪などに足が取られたり、埋まること
みんつぁばら …… 水沢原。米沢市田沢地区の地名
留め場  …… 木流しで、木を一時集めておく場所
はせ掛け …… 収穫した稲を天日干しする作業
しんなんね …… しなければならない
いがった …… 良かった
たかじょう …… 地下足袋。漢字で「高丈」と書く場合もある
がってんしね …… くじけない
たがって …… 持って
わっぱ弁当 …… 円筒状の木製の弁当箱
蓑   …… わらなどを編んで作った雨具、荷物を背負うときの背中あて
みなわ  …… オオカワやモワダの木の皮などで作ったロープ
くずんにぇ …… くずれない
川こぎ  …… 川を渡る
おにへいたけで …… 得意げにしてみせる様子
かぶだれくう …… ずぶ濡れになる
ちみだい  …… 冷たい
やろっこ …… 子ども、半人前
わらわら …… 急いで
おやして …… 終わらせて
2尺5寸 …… 1尺は約30cm、1寸は約3cm





    ○掲載日 平成23年1月

    ○執筆者 大竹茂美(置賜文化フォーラム事務局)

    ○取材協力 星野貞一さん(木流し経験者 米沢市)
             伊藤保作さん(木流し経験者 米沢市)
             田沢コミュニティセンター
             (タイトル写真は田沢コミュニティセンター資料から)

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