水辺の宝石〜トンボの魅力と自然環境〜



1.神様トンボ

子どもの頃の原風景の一つとして、夏、家のそばを流れる小川でまっ黒い羽のトンボが飛び交い、葉にとまっては時々羽を開閉する姿を、私はなぜか忘れられません。私たちは「なべとんぼ」(鍋の底が煤で黒いから)と言いましたが、地方によっては「神様とんぼ」とも呼ぶようです。お盆の頃に現れ、幽玄な雰囲気を漂わせているからでしょう。和名は「ハグロトンボ」(カワトンボ科)といいます。羽が黒いこと、あるいは昔、既婚の女性がつけたお歯黒からその名がついたようです。置賜地方には、カワトンボのなかまは3種類います。里山の小川にすむ二ホンカワトンボ、大きな川の上流部にすむミヤマカワトンボ、そして平野部にすむハグロトンボがいて、季節的にまた地理的にすみ分けています。
 ハグロトンボは、私が小学生の頃はシオカラトンボなどと並んで普通にいたように思いますが、いつのまにか姿を消してしまいました。昭和30年代後半から増えだした生活廃水や工場廃水、ゴミ、農薬などにより川が汚れていったためと考えられます。私がトンボを調べるようになった昭和60年頃からハグロトンボを探していましたが、なかなか見つけることはできませんでした。もしかして絶滅?と思いましたが、平成3年にハグロトンボの採集情報、その後目撃情報も少しずつ入ってくるようになりました。そこで平成9年、山形新聞に協力依頼をして、ハグロトンボ生息についての情報提
供を呼びかけました。置賜地方を中心に県内各地からたくさんの情報が寄せられました。その結果、県内各地でハグロトンボが生息し、復活していることがわかりました。その後も少しずつ増えているようで、毎年安定して見られるようになりました。下水道の整備などにより川がきれいになったこと、人々の環境意識が向上したことなどがその理由と考えられます。トンボにとっての環境は全体的には悪化していますが、ハグロトンボは“復活したトンボ・蘇ったトンボ”として貴重です。さすが「神様とんぼ」です。身近なトンボとして大切にしていきたいものです。

2.勝ち虫〜日本人とトンボ

 トンボは、数いる昆虫の中でも「人々ともっとも身近な昆虫の一つ」といってよいでしょう。トンボは、幼虫のときはミジンコやオタマジャクシ、小魚などを捕まえて大きくなり、成虫になってからはカや小さなガなど他の昆虫を食べものとします。
 古代から湿地が多かった日本列島にはたくさんのトンボが生息しており、稲作の広がりとともにトンボはより身近な昆虫になっていったと考えられます。「秋津島」は日本の古い呼び名です。秋津(あきつ)とは蜻蛉(とんぼ)の古い呼び名です。日本にはそれほどたくさんのトンボがいたからでしょう。
 一方、トンボは「勝ち虫」とよばれ、縁起の良い虫として甲冑や武具、衣装などの装飾に用いられてきました。トンボは前にしか進まず、素早く飛び回って害虫を捕食するなど、前進するのみで後退しない攻撃的な姿から、そう呼ばれました。また、雄略天皇が猟に出て休まれていると、アブが腕を刺しましたが、トンボが飛んできてそのアブをくわえて飛んでいったという故事から、トンボのことを勝ち虫というようになったとも言われています。ヨーロッパやアメリカでは、トンボはどちらかというと縁起の悪い虫として忌み嫌う傾向があるようで、日本とは対照的です。

3.トンボのすむ場所

(1)すみわけ

 トンボは、すむ場所によって大きく3つに分けることができます。川(流水域)にすむトンボ、池や沼(止水域)にすむトンボ、そして湿地(田んぼも入る)にすむトンボです。その中でも、えさや水質、水深、水草、流速、周りの環境など、幼虫(ヤゴ、水中にすむ)や成虫の好む場所は、種類により違っていてすみ分けています。
 また、トンボは季節的にもすみ分けています。はっきりと分かれているわけではありませんが、シオヤトンボやヨツボシトンボなどは春のトンボ。ハッチョウトンボやエゾイトトンボ、クロスジギンヤンマ、ニホンカワトンボなどは初夏のトンボ。ギンヤンマやオニヤンマ、キイトトンボ、シオカラトンボ、ハグロトンボなどは夏のトンボ。そしてアキアカネやナツアカネ、ノシメトンボ、オオルリボシヤンマなどは秋のトンボと言えそうです。中には、オツネントンボなど成虫で冬を越し春一番に水辺に出てくる種類もいます。

(2)置賜地方に生息するトンボ
 山形県内に記録されているトンボは約80種類、そのうち置賜地方では約60種類のトンボの生息を確認しています。日本でもっとも小さいトンボのハッチョウトンボ、日本でもっとも大きいトンボのオニヤンマ、全国的にも絶滅が危惧され生息地の限られているマダラナニワトンボ、ひらひらと優雅に飛ぶチョウトンボなど、春から秋にかけ、川や池沼、湿地などを歩くといろいろなトンボたちと出会うことができます。中には、一年間を通して30種類を越えるトンボがすむ場所もあります。

       


4.トンボの魅力

(1)トンボは水辺の宝石

 日本には約200種類のトンボがすんでいますが、白、黒、青、緑、水色、赤、橙、黄色など、実にいろいろな体や羽の色、模様をしています。メスよりもオスの方がきれいで目立つ色をしています。チョウほど多彩ではありませんが、中には金属光沢をもつものもいて、私は“トンボは水辺の宝石”と感じています。
 晴れた日、水辺を盛んに飛び交ったり草木や石の上にとまったりと、陽光に輝きながら変化する体や羽の色、陽光が通り抜けステンドグラスのように美しい羽は、特に印象的です。

(2)トンボ独特の行動

 百万種以上はいるといわれる昆虫の中にあって、トンボは独特の行動や生態を示します。特に交尾は、オスが腹部の先(連結器)でメスの後頭部を捕まえ「連結」した後、メスの腹部の先がオスの副性器に合わさって「交尾」となります。そのため、オスとメスはかならず輪のようになり、トンボだけの独特の交尾の姿をとります。
 オスは、成熟すると水辺に出て「なわばり」をもちます。縄張りの水域を飛びながらパトロールしメスを探し、
侵入してくる他のオスを警戒します。メスがいれば連結・交尾をし、オスがいれば追い払います。強いオスほど産卵に適したいい場所をとりますが、中には縄張りを持てないオスも出てきます。オスどうしの縄張り争いは、追いかけっこや体当たり、ホバリングしながらのにらみ合いなど、種類によってまちまちです。時には羽と羽がすれあう音が聞こえるほど激しい縄張り争いも見られます。
 また、産卵の仕方もトンボによっていろいろです。交尾の後、産卵となりますが、メスだけで行う種類、オスとメスが連結しながら産卵する種類、また産卵するメスをオスが近くで警護する種類もいます。卵の産み方も飛びながら空中でぱらぱら産む種類(打空産卵)、水面をたたくように産む種類(打水産卵)、他にも打泥産卵や、植物の茎や水草、枯れ木などに産む種類など様々です。中には、水中に潜ってしまう種類(潜水産卵)もいます。
 多くのトンボは晴れた暖かい日の日中に活動しますが、中にはミルンヤンマやカトリヤンマのように夕方うす暗くなってから活動する種類や、黄昏(たそがれ)飛行とよばれる夕方や朝方に集団で飛び交うヤンマ類もいます。

       


(3)トンボ・ウォッチングのすすめ

 春から秋まで、天気のよい日に水辺に出てみると、たいていトンボと出会うことができます。そして、いろいろな色のトンボが水面を活発に飛び交い、興味深い様々な行動を見せてくれるはずです。羽化する様子、縄張りや産卵行動など、じっと観察するのもいいものです。また写真やビデオを撮るのもいいでしょう。時には、他の水生昆虫や魚、水鳥なども姿を現し、思いがけない生態を見ることもあります。里山の川や田んぼ、ため池などに行って、ぜひトンボ・ウォッチングを楽しんでみてください。

5.自然環境とトンボ

 これまで述べてきたように、トンボは水辺にすみ、その種類によって好む自然環境は異なります。多くの種類がいる場所は豊かな自然環境であると言えそうですし、そこにすむトンボの種類や数によって、その場所の環境を判別することができます。川の汚染度を調べる水生昆虫と同様に、トンボも自然環境を計るものさしとなります。
 以前は、秋になると電線にびっしりと赤トンボ(アキアカネやナツアカネ、ノシメトンボなど)がとまっていました。田んぼや畑の周りではシオカラトンボ(メスをムギワラトンボと呼びました。)を身近に見ることができました。それが自然環境の変化によりすっかり少なくなってしまいました。コンバインなどの大型機械の導入のために冬の乾田化が進み、ヤゴで冬を越す赤トンボ類が死滅してしまうためと言われています。
 先に述べたハグロトンボのように、生息環境が改善され復活したトンボもいますが、多くのトンボにとっては、けっしていい状況にあるとは言えません。池や湿地の埋め立てや放置などにより、トンボにとっての環境は少しずつ悪化していると感じます。
 一方、トンボは飛翔力があり、気に入った環境があればそこに移り住むといったしたたかな面もあります。新しくつくったビオトープで少しずつトンボの数や種類が増えたり、ある年、休耕田にハッチョウトンボがすみついたりといったことがよくあります。いろいろなトンボが飛び交い多くのトンボがすめるような環境は、私たち人間にとってもいい環境といえそうです。

<赤トンボの仲間>
       
 
       


         

○掲載日 平成23年9月

○執筆者・写真提供 小形義和(日本蜻蛉学会会員)

○参考文献・資料  東海大学出版会「日本産トンボ幼虫・成虫検索図説」 トンボ出版「トンボのすべて」


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