60小野川温泉のまちづくり・・・SF映画「ヲ乃ガワ」



1 過去から未来へ


高砂屋の温泉源泉
 「温泉寿命」という言葉を、お聞きしました。温泉成分である「トリチウム」を分析すると、何年前降った雨が地下にしみこんで温泉として湧きだしているのかが分かるというのです。この分析した期間が温泉寿命といわれるもので、小野川温泉は、40年以上も前に降った雨が地下にしみこみ、今、地下から再び温泉として湧きだしているのだそうです。過去から未来へつながった自然の恵みが温泉なのです。過去から未来へのつながりはSF映画「ヲ乃ガワ」のひとつのテーマともなっています。

小野小町の碑と小野川温泉足湯場


 米沢市小野川温泉は、水がきれいな川が残っていて、初夏にはホタルが飛交う自然豊かな場所で、ホタルの里として親しまれています。1200年前に小野小町が父を探し京都から東北に向かった途中で病に倒れ、この地の温泉につかって病を癒したという伝説があり、「小野小町の湯」と呼ばれています。また、伊達政宗や上杉鷹山がこよなく愛した温泉であるとも伝えられています。泉質は、含硫黄ナトリウムカルシウム塩化物温泉で、pH値が6.7〜7.4、ラジウムを多く含んでおり、80.3度の高温泉井戸でつくった温泉卵は有名

夏ホタルが飛交う小野川温泉の河川
です。
 この小野川温泉には14軒の旅館があり、バブル期には年間25万人がここを訪れて活気ある温泉町だったので

小野川温泉街灯
す。しかし、世の中の不況と共に、客足は遠のいています。NHKの大河ドラマ「天地人」で直江兼続が取り上げられた際には、米沢市が脚光を浴び観光客も多く訪れました。その年は、年間12万人の人が小野川温泉に来ています。

奥山琢さん
ブームが去ると同時に2011年の東日本大震災の影響があり、現在小野川温泉を訪れる観光客は、年間8万人にまで減っています。
 小野川温泉に活気を取り戻し、地域活性化を図りたいという思いは、この町のだれもが持っています。ここ小野川では、旅館の若旦那衆や、商店の若い力が結集して、「小野川を舞台にしたSF映画を作ろう!」というまちづくりの渦がおこっています。その渦の中心人物の一人である奥山琢さん(小野川温泉「高砂屋」専務取締役)にお話をお伺いしました。


2 人のつながり

 のどかな温泉町のまちづくりが、なぜSF映画なのか?ホタルの里であるのどかな温泉町のイメージとSF映画のイメージはどうしても違和感があります。たどってみると、そこには感動的な人の輪がありました。

小森威典氏著書
 今回のSF映画づくりのルーツは、温泉番組プロデューサーである小森威典氏と「高砂屋」会長の竹田昭雄さん(奥山琢さんの父)との10年来の繋がりでした。小森氏は、10年前小野川温泉を訪れて以来、この温泉の魅力にすっかり魅了されたそうです。小森氏は、「全国には3千数百の温泉街があるが、源泉100%掛け流しは1%未満。小野川温泉は泉質も素晴らしく、実に貴重な温泉場です。」と小野川温泉を薦めています。
 2009年夏、小森氏とのつながりで、小野川温泉を訪れていた映画祭プロデュ−サ−から、「小野川で一緒に映画をつくらないか」と声をかけて頂いたことがきっかけとなったそうです。小野川温泉を訪れる観光客が減少している中、この町に活気を取り戻したいという思いは、ここのだれもが持っていて、映画づくりが地域の活性化につながるのではないかと、小野川温泉観光協議会のメンバーが集まり協議をしたのです。観光協議会には、奥山さんをはじめ若手を中心とした小野川温泉観光知委員会という内部組織があり、祭りイベントなど実質的な実行部隊として動いています。協議した結果、映画づくりはいつも実行部隊として動いている若いメンバーに託し、年配組は精一杯後方支援するという話となったそうです。小野川温泉の若者達は、最初はあまりにも大きな話で想像すら出来なかったものの、まちづくりとしての映画製作に地域の活性化を懸け、「是非チャレンジしたい」と熱い気持ちになったのです。そして、紹介を受けたのが山口ヒロキ監督です。

山口ヒロキ監督
 山口監督は、立命館大学在学中、映画部に所属し、大学1回生より映画製作を開始、1997年にわずか2作目の『深夜臓器』で第2回インディーズムービー・フェスティバルグランプリを受賞。 その後、インディーズムービー・フェスティバルのスカラシップ作品として監督した『グシャノビンヅメ』で数々の海外映画祭の正式招待を受け、世界に知られることとなった監督です。 小野川温泉をこよなく愛する人の思いと、人と人とのつながりが、小野川の若者達を山口監督との出会いに導いたのです。
 山口監督が初めて小野川の町を訪れたのは、2010年3月17日でした。旅館や共同浴場、露天風呂、工場跡地、巨大倉庫など、

撮影で使用した巨大倉庫(米沢市)
小野川の風景は監督の構想を大いに刺激し、この場所でいい映画づくりをしたいという思いが固まったそうです。一方、奥山さんたちも、2010年に故郷の小野川温泉を愛する若手13名で「小野川・ザ・フィルムズ・コミューン」を立ち上げ、映画を通したまちづくりで地域を活性化したいという想いで固まっていました。この2つの熱く堅い決意が一致し、今回の小野川温泉の映画によるまちづくりが始まったのです。山口監督との出会いがあったことで、小野川温泉の映画によるまちづくり第一弾の映画ジャンルはSFになったのでした。小野川温泉とSF映画、まったく考えもしない不思議な組み合わせですが、若い人々の情熱が人を動かし、徐々に大きな渦になってゆきます。

3 進まない日々

 小野川・ザ・フィルムズ・コミューンと、山口監督との出会いが、最初に目指したのは、ブラック・インディ映画祭参加作品としての製作でした。2010年4月から、ブラック・インディ映画祭(東京)と山口監督、米沢・小野川地域が一緒になり活動を開始したのです。

ヲ乃ガワ製作スタッフのメンバー
 しかし、華々しくスタートはしたものの、活動を進めてゆく中で、いろいろな壁にぶつかりました。今回の作品は、山口監督独特の世界観と、米沢・小野川の豊かな地域資源を活かすという他に類を見ない日本のSF映画にチャレンジしています。完全自主製作の映画祭であるブラック・インディでは、「プロのスタッフを起用しない」「資金集めを極力行わないで作り上げる」「有名人を出演させない」などルールと制約、期限が厳しく、映画製作を進めてゆく中で、今回山口監督が目指す映画の質と内容を実現するための準備が整いませんでした。
 山口監督の映画へのこだわりは非常に強く、最高の作品を創ることが自分の使命であり、それが地域活性化にも繋がると、作品に対し一切妥協はしないという思いです。一方、小野川側としては、多くの人の参加協力があり進めていることから、当初の予定を変えないで、スケジュール通り早く仕上げたいという思いです。意見の相違を埋める為、何度も何度も、時には朝方まで話をしました。

皆で食事しならが打合せ
山口監督の頭の中の映像を一緒に協力してつくり上げると決意した小野川の若者達も、映画製作が今どの時点にあるのかが想像出来ない状態で、なかなか映画づくりが進まない時期がつらかったそうです。予定より長引いてしまっていることが気がかりだった、と奥山さんは振り返り語ってくれました。
 最終的には、より良い作品作りの為には、ブラック・インディ映画祭から離れて、作品規模を拡大し、多くの観衆に楽しみと喜びを与える映画として、もっとクオリティの高いものを目指すべきであるという結論に至りました。作品の為にも、地域活性化という目的の為にも、その方が良いという意見で再び一致したのです。

4 本格撮影

 2011年4月にこのブラック・インディ映画祭から離脱し、山口監督と小野川の若者とで、新たな体制で映画づくりが再スタートしました。

美術セットの足場を組む作業中
 今回の映画づくりは、山口監督関係のメンバーと、小野川地元メンバーとの協働体制での取組みです。山口監督率いる東京・大阪の体制のメンバーは、もっぱら山口監督に惚れて集まってきた人々です。映画製作体制づくり、予算確保、セット製作準備などが進み、製作委員会も発足、映画製作の主要な体制や協力者も徐々に整ってきました。
 小野川側の体制のメンバーは、予算ありきの商業映画製作ではなく、自らの力を結集して映画をつくりあげようと集まってきた地域の人々です。若い人達ががんばっているということで、小野川や周辺の人々の多くが応援隊となりました。若手主導のプロジェクトに、従来から小野川温泉を支えてきた先輩たちは、バックから惜しみないサポートをしているのです。
 こうして、2012年に入っていよいよ本格撮影が開始できたのです。

撮影用大道具を手作り
東京・大阪・京都から来たスタッフは、まちづくりを目指した地元参加型の小野川の体制に対して、十分に理解し参加してくれました。役者さん達も細かな気遣いをしてくれて、明るく我慢強く、とても協力的だったそうです。映画づくりのプロの人々が、小野川の地域活性化の活動に対して、配慮をしてくれたことが有難く、また初めての映画づくりで学ぶべきことも多く刺激を受けたと奥山さんは語ってくれました。
 今回の映画づくりでは人と人のつながりを大切にしており、たくさんの地元の方々のご協力を基に進んできました。この規模のSF映画は、通常なら億単位の予算となるそうで、とても実現できる規模ではないのですが、しかし、人々の協力は、どんどん奇蹟を起こしたのだそうです。

巨大倉庫内に街がひとつ出現
今回こだわった美術セットづくりは、予算削減のため資材・機材を地元の個人、企業の協力を得て調達し、セットの素材として大量の廃材を利用しています。その廃材集めのために、監督を始めとしたプロの映画スタッフと地元スタッフが共に米沢中を駆け回りました。ほとんど手弁当で、映画の美術を統括する美術監督と大道具づくり担当の美術スタッフが大阪・京都から来て、地元のボランティアスタッフと一緒に壮大な規模のセットを一丸となって作り上げていきました。撮影場所も地元や行政の協力を得ることができ、衣装も米織からの生地提供、エキストラは地元の人々の参加、東京からのスタッフの宿泊や食料調達への協力と、多く方々の数えきれない応援があったからこそ、2012年夏、無事撮影を終了することができたのです。「皆さんからの多大な協力を頂き、感謝の思いでいっぱいです。」と奥山さんは心から湧き上がるものを語ってくれました。

5 今後のビジョン


映画編集作業
 一通りの撮影は終了しましたが、編集などが残っていて、まだ完成までには至っていません(2012年末現在)。しかし、「映画づくり 人づくり まちづくり」を掲げてスタートしたこの企画による「実」はすでに実りはじめています。小野川に初めて来た東京からの映画スタッフは、映画にたずさわることで、小野川温泉を知り、小野川温泉を好きになっています。山口監督は、「小野川が第2のふるさとになった。」と言っているのです。これは、小野川の人々の熱意と温かさの賜物だと思います。何に取り組むかも大切ですが、最終的には、人と人との人間社会ですから、人を大切にしたことが結果として表れるのだと感じました。
 今後、たくさんの方に映画を観て頂くには、どのようしていくかという課題が残っています。この映画をどのように地域の活性化につなげ、大きく成長させてゆくか、小野川の若者達は模索をしています。2013年3月からモントリオールのファンタジア映画祭等、海外の映画祭に「ヲ乃ガワ」を出品する予定だそうです。もちろん目標は入賞して、世界の多くの人に観ていただくことです。小さな温泉町の若者達の目標は「世界」なのです。地元での先行試写会は、2013年4月6日(土)7日(日)の2日間予定されています。
 これからの活動が、この企画当初の目的である小野川地域活性化の「実」となり大きく成長してゆくことになるのでしょう。小野川の若者達の熱き活動はまだまだ続きます。
「世界」を目指して!




☆SF映画「ヲ乃ガワ」先行試写会☆




先行試写会についての詳しくはこちらをご覧ください。

          

〇掲載日   平成25年1月

〇取材協力  高砂屋(小野川温泉)専務取締役 奥山琢
     
○写真提供  映画監督 山口ヒロキ
       高砂屋(小野川温泉)専務取締役 奥山琢      

○執筆編集  置賜文化フォーラム編集員 東野真由美



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