山形大学発第1号ベンチャー〜人繊工業発祥之地としての置賜〜




山形大学工学部内有機EL研究センター
 先日福井県のある高校を訪問する機会がありました。進路指導室の先生にお目にかかったところ、「山形大学工学部を高く評価している」というありがたい話をいただきました。世界最先端の有機エレクトロニクス研究で注目されていること、国立大学有数の規模の工学部であることなど、よくご存じでした。現在のところ福井県の高校から山形大学への志願者はそれほど多くないですが、より一層強く推薦してくださるとのことで、嬉しい訪問となりました。 

1 産学連携〜帝人株式会社〜


有機ELアーチ型照明
 山大工学部の技術を生かし、産学連携を行っている企業が米沢市には多数立地し、有機EL照明などのベンチャー企業も設立されています。20世紀初め、工学部の技術を生かして生まれた大先達企業がありました。帝人株式会社です。「帝国人造絹糸」を略して現在帝人と名乗っているこの世界的大企業は、大正4(1915)年に東工業(株)

研究段階の人絹糸
米沢人造絹糸製造所として設立され、大正7年に帝国人造絹糸と改名しました。「人造絹糸」はレーヨン(植物繊維の主成分であるセルロースを用いた再生繊維)のことです。この工場が米沢にできたのは、山形大学工学部の前身である米沢高等工業学校教授であった秦逸三氏の研究を生かしたためなのです。

2 秦逸三氏


秦逸三氏
秦氏は明治13(1880)年に広島県に生まれ、東京大学工科大学応用化学科を卒業しました。明治45年に米沢高等工業学校応用化学科に赴任、 ビスコース法 (木材パルプを苛性(かせい)ソーダで処理し、二硫化炭素を加えて製した粘質物の水溶液を噴出させて糸を作る方法)で人造絹糸製造に成功しました。高等工業教授を退官した後は帝人の技術指導と経営にかかわり、帝人筆頭常務、第二帝人社長もつとめ、昭和19(1944)年に惜しまれながら亡くなりました。秦氏が米沢高等工業に勤めていた期間はわずか四年半でしたが、その間にすぐれた業績を挙げ、大学発ベンチャーのはしりとも言える企業設立を成し遂げました。彼を主人公とした米沢市民ミュージカルが平成22年に制作され、東京でも上演されるなど、現在でも米沢市民に慕われています。
秦氏は研究に没頭するあまり、何度も二硫化炭素中毒になって倒れることもしばしばであったといいます。学生への指導がおろそかになりがちで、校長が秦氏の代わりに授業を行うこともあり、他の教官には評判が悪かったのです。研究と教育の両立はいつの世も難しいものなのですが、彼のために言っておくと、決してずぼらな人物ではなく、研究者として一途で神経質な面を持つ一方、人情に厚く社交的な面もあったと伝えられています。

右)金子直吉氏  左)久村清太氏
技術者と経営者を両立したことが示しているように、才能豊かで大きな度量を備えた人物でした。 学校内では孤立気味の秦氏の才能を見抜き、支援したのは、当時大総合商社であった鈴木商店の支配人金子直吉氏と、酒田出身で秦氏とは大学の同窓であり、鈴木商店の子会社として設立された東(あずま)レザー株式会社の技師長の久村清太(くむらせいた)氏でした。久村氏はのちに帝人社長・会長を歴任しました。

3 人繊工業発祥之地としての置賜


当時の舘山の製糸工場
 鈴木商店は米沢市館山の製糸工場を買収しました。現在は米沢市立第三中学校となっている場所が帝人創業の地で、御成山には「人繊工業発祥之地」の碑が建てられています。

「人繊工業発祥之地」の碑
 ところで、秦氏を米沢の地に呼び寄せ、米沢が工業都市として発展する契機を作った米沢高等工業学校は明治43(1910)年開校しました。戦後は山形大学工学部となり、平成22年に創立百周年を迎えました。高等工業学校は高度な工業技術者を養成するために全国に設立されました。

工場跡地は、現在は米沢市立第三中学校
例えば東京工業大学や東北大学工学部の前身も高等工業学校でした。米沢高等工業は仙台に次いで開校した全国で7番目の高等工業学校です。早い時期に他地域に先駆けて米沢に開校された理由は、上杉鷹山が産業化の基礎を築いた米沢織で知られ、東北での繊維工業の中心を形成していたことが大きいのです。

米沢織 提供)蠖慧
山形県・米沢市・旧藩主上杉家挙げての熱心な誘致が功を奏し、同様に繊維産業で 知られた群馬県の桐生(群馬大学工学部の前身の桐生高等染織学校が大正4年に設立されます)などとの誘致合戦を勝ち抜くことができました。最も多い時期には一学年740名、少子化の進む現在でも620名の学生定員を有し、200名近い教員を抱えている日本有数の大規模学部で、卒業生もほぼ4万人にのぼります。大学があることによって地域に産業が発展し、地元の雇用が生み出されるという、山形大学工学部と山形県・置賜地域が密接に結びついて共存共栄していく幸福な関係がこの先も続いていくことを、山形大学に勤務する米沢市民の一人として願ってやみません。




        

〇掲載日 平成24年11月

〇執筆  山本陽史
      山形大学基盤教育院教授(前山形大学大学院理工学研究科教授)

○写真情報提供 山形大学工学部

○編集  東野真由美(置賜文化フォーラム)

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