ふるさとの童謡「ないしょ話」の作詞家 結城よしを



1 日本の歌百選「ないしょ話」



2 「結城よしを」の生誕

 「結城よしを」は、大正9年(1920年)宮内町の出身で、後に山形県を代表する歌人となった結城健三とその妻えつの長男として宮内町に生まれました。この町は日本三熊野といわれる熊野大社の門前町として開けた町で、かつて製糸の町としても栄え、作家小田仁次郎など多くの文化人を生んだ薫り高い文化の町です。今、その生家はありませんが、熊野神社に近い地で生まれ、熊野神社の参道入口には結城建三とよしをの親子の歌碑が建立されています。
 「よしを」が2歳のときに、一家は当時の鶴岡町(現在の鶴岡市)に移り住み、10歳までこの鶴岡町そして酒田町(現在の酒田市)で多感な時代を過ごしました。
「よしを」が住んでいたであろう街並みや学んだであろう現在の学校を訪ね歩いてみました。しかし、「よしを」の住んでいた家を探し当てることができず、ましてや知る人物に会うこともできませんでした。鶴岡町(現在の鶴岡市)は、「雪の降る町を」が生まれた町として、毎年「雪の降る町をコンサート」が開かれ、藤沢周平の生誕の地としても、近年脚光をあびています。もしかすると、このような地域風土が、「よしを」を童謡の世界に誘ってくれた基盤となっているのではないかと思われます。
 昭和5年父健三の転職により山形市に移り住みました。「よしを」は昭和9年山形市立第4尋常高等小学校高等科を卒業すると、すぐ、山形市内の本屋に店員として住み込みで働き始めました。「本屋にいけばただで本が読める」が就職の動機といわれています。
 童謡を書き始めたのもこの頃からで、盛んに童謡を新聞に投稿するようになりました。今でもその書店が残っており、山形市では老舗の書店として、市民に親しまれています。幼い頃に芽生えた文学の心が、書店に就職し多くの本との出会いの中で言葉が磨かれ、童謡へと傾いていったとしても不思議ではありません。


3 童謡「ないしょ話」の誕生 そして「よしを」は戦場へ

 17歳の頃、童謡誌を創刊し、翌年には自作の童謡をレコードに吹き込んでいます。19歳の時に、「ないしょ話」を作詞して、作曲家の山口保治にその歌詞を送りました。それが目にとまり、キングレコードで吹き込みレコード化されました。以来70数年にわたって歌い継がれてきました。この「ないしょ話」の他に、34曲もの童謡がレコーディングされています。
 「ないしょ話」から2年後の昭和16年(1941年)に21歳となった「よしを」は、7月に教育召集で弘前第20部隊に配属され、野砲兵として輸送船の護衛にあたりました。その後、小樽、広島、さらにシンガポール、ニューギニアに転戦しています。軍務の暇を惜しみ、戦闘の合間をぬって、ひたすらに彼は多くの童謡と文章を書き綴っています。その頃の様子が、戦後、彼が執筆していた本「月と兵隊と童謡」に克明に記されています。


 この本の序文に「春の小鳥の声に童を思い、花を愛でては故郷の山野を思い、せみの声に暑くなったことを思い、水を恋しがったり、また演習に行って、小高い丘や野原に休んでは、何か書いてみたくなって、ペンを執る日が多くなった。ある時は、夕食後、古兵たちににらまれながらもわずかな時間にノートを開き、一つ二つと書いてうれしがった。・・・・・多くの童謡を作り、文章を書いた。そして、そして故郷に送り届けた。・・・・・・」戦火の厳しい中でも童謡への熱い思いは消えることはなかったのです。

 「ボクの童謡集を出版してください」という言葉を最後に残し、昭和19年9月、小倉陸軍病院で亡くなっています。24歳の若さでした。
わが子の死を惜しんで詠まれた両親の短歌を紹介します。


    「臨終の子に童謡を聞かせつつ 頬つとふ涙妻は拭はず」



    「乳首吸ふ力さへなし二十五の 兵なる吾子よ死に近き子よ」



4 県内各地に歌碑が建立


 多くの人に親しまれ歌い継がれてきた「ないしょ話」が刻まれた歌碑が、県内にはいくつか建立されています。郷土の生んだ童謡詩人、「結城よしを」の死を悼んだ山形の人々は、広く浄財を集めて霞城公園内にある山形市児童文化センターの前に記念の碑を建立しています。蔵王の山の石で作られた碑には、「ないしょ話」の一節が掘り込まれています。また、山形市蔵王には、よしをの父健三に師事した、船橋弘氏が結城健三とよしをの親子文学碑を建立しています。
 さらに、よしをの生まれた南陽市宮内の熊野大社の境内には、父健三の歌碑と並んで「よしを」の童謡碑が建立されています。
 結城よしをの生誕の地南陽市宮内は結城よしをゆかりの地として、8月に宮内駅前商店街で「あのねのねフェスティバル」などのイベントが行われ、フラワー長井線宮内駅前には、「ないしょ話」の童謡碑が建立されています。童謡「ないしょ話」は知らない人がいないほど知れわたっていますが、作詞した「結城よしを」を知らない人がたくさんいます。もちろん南陽市が「ないしょ話」の作詞者「結城よしを」の生誕の地であることも、南陽市民にあまり知られていないことも驚きです。


5 「ないしょ話」のビデオ教材づくり



 今、急激に少子化が進み、子どもを取り巻く状況が大きく変わってきています。子どもを巻き込んだ事故や事件など、かつてなかった悲惨な事件が頻発しています。社会や世相を反映するかのように、子どもの自殺や親が子どもを虐待するという信じられない出来事が、連日のように新聞やテレビを賑わせています。親と子どものかかわりの希薄さが生んだ悲劇の結果ではないかと心を痛めています。このような時代だけに、改めて「ないしょ話」を聴いてみると、今失われつつある親と子のあたたかな関わりが見事に歌い上げられているような気がしてなりません。これこそ「結城よしを」が思い描いたことではと、「ないしょ話」は子ども達を育む心のビタミン剤として大切に守り育てていきたいものです。
 南陽市では教育日本一を標榜し、「子育てするなら南陽市」と子ども達を心豊かに育むことができるマチづくりを進めています。豊かな親子のかかわりを取り戻すためにも、「ないしょ話」をどの親子も口ずさむ日がきてほしいと願い、南陽8ミリクラブでは「ないしょ話」を題材としたビデオ教材づくりを進め、ようやく完成しています。多くの人々にこのビデオ教材を見てもらい、未来を担う子ども達を心豊かに育てていきたいものです。




    

○ 参考資料  「月と兵隊と童謡」結城よしを著 三省堂
           「結城よしを全集」結城よしを著 結城建三監修 角川書店
           DVD教材  ふるさとの童謡「ないしょ話」南陽8ミリクラブ
                   DVD教材に関する問合せ先
                   南陽8ミリクラブ事務局長 渡部俊一(0238-40-2755)
○ 執 筆 者   加 藤 正 人(南陽8ミリクラブ)
○ 写真提供        〃


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