能楽を今にそして未来へ−守り伝えて400年金剛流能楽−




1 能の由来


 能楽は江戸時代、明治の初めまで「猿楽(さるがく)」と呼ばれておりました。明治維新の動乱により能楽は演能もまま成らない状態でした。次第に世の中が落ち着いて来るにしたがって徐々に息を吹き返してきます。元大名による華族能や、海外から日本の伝統文化の代表として評価が高まり、平成13年にはユネスコ世界文化遺産に認められるまでになり、日本伝統文化の代表として不動の地位を確立し、今日に至ります。

 鎌倉時代末期から南北朝時代、当時民衆の芸能の代表として、農民の民族文化から生まれた「田楽」と寺社仏閣との縁が深かった「猿楽」がありました。いずれも曲芸・物真似・音曲などを主体にした芸に特徴があり互いに競い合ったり、交じり合ったり、影響しあっていましたが、次第に少しづつ変化し劇形態の物語性を持った「能」という歌舞劇に変質していきました。
 これらは大和・近江・丹波・摂津などに「座」として活躍を見せていましたが、大和興福寺に関係の深かった、大和四座※1に統一されていきます。
 大和四座とは「結崎(ゆうざき)座」観世流、「円満井(えんまい)座」金春流、「坂戸(さかと)座」金剛流、「外山(とび)座」宝生流を指し、次第に力を得てきます。
 特に結崎座(観世流)に於いては不世出のスーパースター、観阿弥・世阿弥父子※2による猿楽の一大改革が行われ、時の将軍足利義満の目にとまり絶大な保護を得て、大いに発展します。

 観阿弥は従来の芸に当時流行った「曲舞(くせまい)」を取り入れ、音曲面でも大改革を行いました。世阿弥は父の芸に幽玄さ※3を加えた夢幻能※4の手法を確立し、また多くの能の名作を作り、現在でも能のバイブルと言われる多くの著作を残し能楽というものを大成・確立させました。
 改革を加えた猿楽は栄え、一方田楽は次第に衰退していきます。
 しかし、応仁の乱によって室町幕府は有名無実化し経済・文化は大いに疲弊し、能楽も一時衰退、地方の力のある豪族を頼って地方に下る能役者が続出します。

それを救ったのは大の能楽好きの豊臣秀吉でした。秀吉は大和猿楽四座に扶持米(ふちまい)※5を与えて保護し残存していた他の弱小猿楽座を四座に統合し完全なる四座体制とし、当時は桃山文化の最盛期であり能も次第に絢爛豪華、重厚さを増していきました。
徳川幕府も秀吉の制度を踏襲(とうしゅう)し能を保護しました。二代将軍秀忠の時代には、新たに喜多流※6が加えられ四座一流体制になり、幕府の式楽(儀式用の芸能)を担当するようになると、地方の有力大名もこれに習い四座一流の能役者を召抱えるようになります。これにより能は全国に広まり、やがては権力者の芸能から庶民の芸能として深く浸透して行くことになるのです。


2 上杉家と金剛流の関係


 山紫水明なこの米沢の地に、金剛流としては東北地方で唯一伝承されています。なぜ米沢地方に金剛流の能楽が伝承されているのか再考したいと思います。
 当米沢地方においては上杉家四代藩主綱憲公の時に金剛流宗家の弟、五郎四郎を召し抱え米沢における能楽は金剛流としました。以来三百数十年に渡り米沢地方は金剛流となり(現在は観世流をたしなむ方もおられます)、歴代藩主は金剛流を家臣に学ばせました。その時の能組を担当した藩士の集団を「芸者組」と称しました。

 特に八代藩主重定公は能楽に対する造詣深く、数多くの能を演じ、プロに混じっての立会い能を演ずるほどであり、金剛流秘伝書、能衣装、能面の収集が行われ能蔵二棟に納められていったことが「東岳院(重定公の御法名)様御手澤品」により明らかになっています。

 能面は古面が多く百二十面ほどあり、当時の野上豊一郎博士(国宝美術審査会委員)の鑑定により国宝級の折り紙を得たが、戦争によって散逸し今は東京国立博物館に一部保管されているのみであります。
 明治維新の動乱により、十三代藩主茂憲(もちのり)公は廃藩置県により藩民を朝廷にお返しになりここに二百七十二年に及ぶ米沢の上杉氏統治は終りを告げました。また茂憲公は旧大名を誘い華族能を催し困窮する金剛宗家を援助されました。
 芸者組の解体により藩士は一般庶民に謡曲を指導するようになります。当時は謡講(うたいこう)と称するものがあり一般庶民は誰でも謡曲を習う事が出来たのです。大正五年医師伊東祐順(文化勲章受賞者伊東忠太博士の父)は二十三世金剛右京師を招聘(しょうへい)、米澤九曜会を発足し正調なる金剛流の謡を弟子に学ばせました。九曜の紋は宗家の紋であり宗家の直弟子となった米沢は従来の上杉家とのつながりもあり、その着用を許されました。

3 米沢金剛会の活動


 現在に至るまでは戦争による中断もあり色々な事が有りましたが、現在は「米沢金剛会」として活動をしております。川西町と長井市・白鷹町にも流友があり、総勢百三十人位の会員がおります。平成十三年度に永らくの上杉文化の継承と地域文化への貢献が認められ、待望の県内でも、屈指の能舞台を備えた「置賜文化ホール」が米沢市に開設されました。九月二十九日に挙行された柿落としでは、米沢金剛会の祝謡が鳴り響き市民の万雷の拍手を受けました。
 常には各グループがあり、「謡(うたい)」と「仕舞(しまい、謡に合せて舞う短い舞)とに分かれて各師範に芸を御習いして、年数回の米沢金剛会の例会において会員が一同に会して日頃の稽古の成果を発表し合っています。



4 能楽の魅力

 能楽というのは音楽でいえばオーケストラです。色々な役割分担があります。
能の役割分担はまず三役から成り立っています。


これらを三役と言い、他にもツレ、子方、狂言等様々な役割があります。

 能と言うのは簡単に言えば四角四面の舞台上にて囃子と謡(物語性を持つ)に合せて舞を舞うという事ではありますが、それぞれに重要な決まり事があり、そう簡単ではありません。
 演者が一体となって能を演じきった時の充実感、陶酔感は実に素晴らしいものがあり、これは能に参加した者のみが知る特権です。
 また、能は五番立てといい、五種類に分類されています。
 五番立ては序破急※7の考え方に基づいた、昔の番組構成によって分類されています。「序破急」の「破」の部分を「破ノ序」「破ノ破」「破ノ急」にわけて、番組を導入から終結へと組み立てていきます。


 他にも季節ごと、被る面によっても分類されています。


おわりに・・・能楽への誘い


 能、謡の魅力は何でしょう。私は謡の何たるかも知らず友達に誘われて謡を始めましたが、その内に謡の声に惹かれました。鋭い日本刀のようなそして温か味のある謡声に惹かれました。それは複式呼吸による正しい発生から産まれる物です。
姿勢を正し大きな声を出して謡を謡うとストレスもなにもかも吹っ飛んでしまいます。

 どうですか。皆さんも始めてみませんか。米沢金剛会では暖かくみなさんをお迎えいたします。



〇掲載日  平成23年11月

〇執筆者  猪野 宏實(金剛流師範)

〇編集    勝見 弘一(置賜文化フォーラム)

○写真提供 金剛能楽堂

〇参考文献・資料  金子 直樹「平成23年度 置賜文化ホール自主事業
             開館10周年記念「金剛流公演」関連事業能楽講座『お能をたのしむ』テキスト」
             猪野 宏實「米沢金剛流四百年概史」
             「岩波国語辞典 第四版」 

〇関連ページ 米沢金剛流(事務局:米沢金剛会会長 川合重穂:TEL0238-23-1866)
          伝国の杜
          金剛能楽堂

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