板谷峠のスイッチバック




奥羽本線板谷峠のスイッチバック遺構および関連施設群


1.東北地方幹線鉄道開通の推移

表1.東北地方幹線鉄道開通の推移

 概略を説明しますと、
■1887年7月、鉄道がはじめて白河関を越えて東北地方(福島県)に入って来る
■同年12月、宮城県に入って来る(塩釜まで開通)
■1890年、岩手県に入って来る(一ノ関まで開通)
■1891年、青森県に入り、東北本線が全通する(青森まで開通)
■1894年、青森−弘前までが開通する(奥羽北線)
■1899年5月、福島−米沢までが開通し(奥羽南線)、鉄道が山形県に入って来る
■1899年11月、奥羽北線が秋田県に入って来る(大館まで開通)
■1904年、奥羽南線が秋田県に入って来る(院内まで開通)
■1905年、最後の湯沢−横手間が開通して、奥羽南線と奥羽北線とがつながり、奥羽本線が全通した
ということになります。
 なお、常磐線が開通するのは、東北本線に遅れること7年で、1898年に田端−岩沼間が全通します。
 羽越本線が全通するのは、だいぶのちの1924年のことです。


2.奥羽山脈を越えた7本の鉄道の比較

 鉄道が大きな山脈を越えることは難事業でした。
 1854年にヨーロッパのアルプス山脈をはじめて越えたセメリング鉄道(オーストリア)は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 さて、奥羽山脈は、栃木県から青森県まで南北500劼砲よぶ日本最長の山脈です。
 この山脈を越える鉄道はいま全部で7本あります。

表2.奥羽山脈を越えた7本の鉄道の比較(南から北へ)


3.奥羽本線板谷峠周辺概念図

 ここで、奥羽本線福島−米沢間の概要をご説明しましょう。
 福島−米沢間40キロメートルあまりの区間に、7つの駅があります。
 そのうち、笹木野・庭坂両駅は福島盆地に、関根駅は米沢盆地にあります。一方、赤岩・板谷・峠・大沢の連続する4駅は奥羽山脈の山中、吾妻連峰北麓にあり、1990年までいずれもスイッチバック駅でした。
 福島・山形県境(福島県側は福島市、山形県側は米沢市)は、赤岩駅と板谷駅とのあいだを通っています。
 一方、分水界は板谷駅と峠駅とのあいだを板谷峠として通っています。東側が阿武隈川水系、西側が最上川水系です。


図1.奥羽本線板谷峠周辺概念図(SBは旧スイッチバック駅を示します。)


4.スイッチバックについて(奥羽本線板谷峠周辺)

 スイッチバックとは、一般的にはジグザグの路線をいいますが、鉄道においては通常、山岳の急勾配を克服するための手段です。
 ジグザグする理由によって、次の二通りに大別することができます。
ゝ涕配の斜面を登るために、距離を稼ぐ目的で、ジグザグに走行する
急勾配区間に駅を設けるために、結果的にジグザグに走行する
 有名な箱根登山鉄道におけるスイッチバックは,離織ぅ廚任后0貶、板谷峠周辺のスイッチバックは△離織ぅ廚任后
 図2は後者の板谷峠周辺のスイッチバックの概念図です。


図2.板谷峠周辺のスイッチバック概念図

 図に引かれた水平の13本の直線(緑色)は、急斜面の等高線だと考えてください。図の上方が標高の高い側(山側)、下方が低い側(谷側)だとします。
 列車はこの斜面を、図の右下から左上に斜めに登るものとします。
 また、簡単のために、線路は単線だと考えます。
 この斜面のなかほどに駅を設けるとすると、この駅を停車せずに通過するだけなら問題ないのですが、駅で列車が停車するためには、(特に蒸気機関車の時代には)水平な区間を設ける必要がありました。
 そのため、右下の方向,ら斜面を登ってきた列車は、まず本線からはずれて水平な折り返し線△貌ります。
 つづいて、列車は後進して折り返し線からそのままプラットホームい諒向へ進入し、乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしをさせます。
 それがすんだら、再び前進してプラットホームを抜け出しァ∨楡に戻って斜面を登りはじめます。
 この駅に停車する必要がない急行列車などは、本線上を1から6へ通過します。
 反対に、斜面を下る列車は、6から1の矢印を逆にたどるのです。
 赤岩、板谷、峠、大沢のいずれの駅でも、ちょうど図のように、プラットホームが本線の上部に、折り返し線は本線の下部に位置しています。これはおそらく、駅を利用する住民が本線の上部に居住しているためでしょう。


5.「奥羽本線板谷峠鉄道施設群」(産業考古学会推薦産業遺産第49号)

 「奥羽本線板谷峠鉄道施設群」が、奇しくも開業100周年にあたる1999年5月15日に、産業考古学会から推薦産業遺産の認定を受けました。

【1】推薦産業遺産認定事項
推薦産業遺産番号 : 49
名 称 : 奥羽本線板谷峠鉄道施設群
所在地 : 山形県米沢市および福島県福島市
所有者・管理者 : 東日本旅客鉄道株式会社
認定年度 : 1999年度
認定理由 : 奥羽山脈の急峻な峠を越えるために、スイッチバック停車場を4箇所連続させ、広大な防雪林を造営するなど、東北地方の日本海側地域開発にとって記念碑的な鉄道遺産である。

【2】推薦産業遺産の説明
認定当時、次の8つのサイトであった。


【3】推薦産業遺産の現状
前項にあげた8つのサイトごとに述べる。


【4】文化財・史跡などへの指定と指定年月
 国重要文化財・登録有形文化財・史跡等: 「奥羽本線板谷峠スイッチバック遺構」(大沢・峠・板谷3駅)が経済産業省の近代化産業遺産群「山岳・海峡を克服し全国鉄道網形成に貢献したトンネル建設等の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定、2009年2月6日


6.奥羽本線第二板谷峠トンネルとその立て坑遺構

 20世紀前夜の1899年(明治32年)5月15日、奥羽南線の福島−米沢間が開通します。開通当初設けられた駅(停車場)は、福島を出発すると、庭坂、板谷、峠、関根、米沢の5つでした(峠駅は8月1日開業)。その後、大沢駅が1906年(明治39年)、赤岩駅が1910年(明治43年)、笹木野駅が1919年(大正8年)にそれぞれ設けられます。
 福島−米沢間を列車は3時間あまりかけて運行されたそうです。奥羽山脈の山中では、30分の1(つまり1000分の33)という急勾配であったことから、赤岩、板谷、峠、大沢にはスイッチバック方式で駅が設けられました。
 そのうち、米沢市内の「大沢駅・峠駅・板谷駅スイッチバック遺構」が、「栗子隧道」などとともに、2009年経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されました。その認定証と銘板は、現在板谷駅の待合室に掲げられています。
 さて、この鉄道は、あの板谷峠の下を、全長1,629メートルもの「第二板谷峠隧道」(板谷峠大隧道とも)によってくぐります。このトンネルは、現在でも奥羽本線の下り線として使われています。
 このトンネルは東西の坑口のほか、深さ約90メートルの巨大な立て坑を掘ってつくられたということです。その遺構が煙突となって今日も残っています。
 峠駅から板谷峠を経て板谷駅に通じる道路を行くと(徒歩でも20分ほど)、右の山側の谷あい約100メートル先に、煉瓦造の1本の煙突が立っています。この煙突こそ、下を通る第二板谷峠トンネルに通じている立て坑遺構です。その本体は、102段に積まれた煉瓦からなり、外周7.2メートル、直径2.3メートル、高さ6.6メートルの円柱状です。開業後も、蒸気機関車の時代、この煙突は排煙用として活躍していました。
 当時の土木技術のもとで、この鉄道の建設がいかに難工事であったか。立て坑遺構は、それを物語る珍しい技術記念物です。

7.板谷駅スイッチバック遺構


 経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された「奥羽本線板谷峠のスイッチバック」の細分遺産の一つである板谷駅です。
 板谷は、かつての宿場町であり、ジークライト株式会社の“企業城下町”でもあります。
 また、20世紀前半には、五色温泉など「日本のスキーツアーの古典的舞台」(本多勝一)たる吾妻連峰の玄関口として、20世紀後半以降は栗子スキー場の最寄り駅として栄えてきました。
 板谷駅は福島−米沢間のほぼ中間に位置しています。分水界の東側なので、福島から米沢に向かうときは、いまだ登りの途中にあるといえます。
 したがって、スイッチバック時代(1990年8月31日まで)、赤岩駅から登ってきた米沢行き列車は、板谷駅構内では、本線からまず折り返し線に進路変更し(途中からトンネルになっている)、ついで後進してプラットホームに入線していました。
 ホームからは前進して本線に戻り、隣りの峠駅へ向かったのです。
 現在のプラットホームは、かつて進路を本線から変更していた箇所に設けられた雪覆いの中にあります。


8.峠駅スイッチバック遺構


 峠駅も、経済産業省「近代化産業遺産」に認定された「奥羽本線板谷峠のスイッチバック」の細分遺産の一つです。
 「峠」という漢字は、中国ではなく日本で生まれた国字です。いかにも山国日本を象徴するような文字です。

図3.「峠」という文字のなりたち

 峠は、山越えの道に沿って見たときは「上り」(のぼり)から「下り」へと移る場所ですが、また尾根に沿って見ると、逆に「下り」から「上り」へと移る場所です。いわば「山」の「上り」と「下り」とが交錯する場所だということになりましょう。
 同様の事例として、JR鶴見線の「国道」駅があげられます。線路と国道(現在の第一京浜国道、かつての国道1号線)とが交差することから命名されたものです。
 全国の峠を代表するかのような峠駅は、第二板谷峠トンネルの西側出口に位置しています。このトンネルを電車が走っているとき、出口近くでモーター音が変化することによって、上り勾配から下り勾配に変わることに気づきます。
 峠駅の標高は622メートル。大沢側の下り勾配は1000分の38です。
 奥羽本線を越える鉄道は全部で7路線ありますが、奥羽本線は、それらのうち最も早く開通し(1899年)、最も標高の高いところを越え、最も急勾配の区間をもっています。
 スイッチバック時代(1990年8月31日まで)、板谷方面からやってきた列車は、トンネル出口の雪覆いの中で、本線からプラットホームへ進路変更し、入線します。ホームの先には、また雪覆いがあり(現在は鉄骨だけになっています)、突きあたりはトンネルになっています。
 ホームからは後進して、折り返し線に進路変更します。峠駅の折り返し線は、上り線用の板谷峠トンネルの北隣りのトンネルになっているのが特徴です。
 折り返し線トンネルに入った列車は、再び前進して本線へ戻り、大沢駅に向かうのです。
 現在のプラットホームは、かつて進路を本線から変更していた箇所に設けられた雪覆いの中にあります。板谷駅が相対式ホームであるのに対し、峠駅では島式ホームになっています。


9.大沢駅スイッチバック遺構

 1899年(明治32年)5月15日に鉄道が開通した当初、大沢は駅ではなく信号所でした。それが停車場に昇格したのは、開通から7年以上経過した1906年(明治39年)12月25日です。
 これ以前にも信号所での乗客の乗降は行われていましたが、当時数百人もの人口を有する大沢集落の住民の要望が結実したものです。
 1990年のスイッチバック廃止以前、峠方面から下ってきた列車は、現在プラットホームが設けられている雪覆いの中で、本線からプラットホームへ進路変更し、入線します。
 下り線ホームのわきには、高さ約4メートル、外周約12メートルの、煉瓦造りの円筒形の構造物が残っています。これは電化以前の蒸気機関車のために水を供給する給水塔の基部です。
 ホームからは後進して、折り返し線に進路変更します。折り返し線に入った列車は、再び前進して本線へ戻り、関根駅に向かうのです。
 現在のプラットホームは、前記のように、かつて進路を本線から変更していた箇所に設けられた雪覆いの中にあります。峠駅では島式ホームになっているのに対し、板谷駅と同様、相対式ホームになっています。

 ※特記事項…関根の鉄道林


           


◎掲載日 平成23年11月

◎執筆者・写真提供 粟野宏(山形大学 大学院理工学研究科 助教)

◎参考文献 「鉄道ピクトリアル」1989年2月号(特集:板谷峠) ・1999年2月号(特集:奥羽本線)
         「奥羽本線板谷峠越え鉄道遺産の歴史的価値と地域文化」シンポジウム報告論文集
         −1999年5月8日:山形産業遺産シンポジウム実行委員会
         粟野宏「奥羽本線板谷峠の産業遺産」『金属』2000年2月号〜6月号連載
         「日本の近代を開いた産業遺産 推薦産業遺産1985〜2010」−2011年:産業考古学会
         二階堂匡一朗編「吾妻小屋日記」−1977年:吾妻小屋日記編集委員会
         新藤義朗「奥羽本線福島・米沢間概史」−2001年:プレス・アイゼンバーン

◎関連ホームページ 地球遺産倶楽部

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